耐恒寮で英語教師を務めた高橋是清を語る作家の幸田真音さん=唐津市文化体育館文化ホール

宮島清一さん

清水重敦さん

山崎信二さん

吉木正彦

「肥前さが幕末維新博覧会」のプレイベントとなるリレーシンポジウム「幕末・維新 唐津のチカラ」が1日、唐津市文化体育館で開かれた。建築家辰野金吾らの人材を生んだ唐津藩英学校「耐恒寮」がテーマ。英語教師で後に首相になった高橋是清に詳しい作家幸田真音さんのリードトークと、パネル討議の要旨を紹介する。

宮島さん「若者を育てる大人の役割感じる」

 ■吉木 耐恒寮は1年3カ月と短かったが、多くの人材を輩出した。成功の要因は。

 ■宮島 一学年ではなく、意欲ある若者がこぞって入学した。曽禰達蔵(建築家)は二十歳、天野為之(経済学者)や大島小太郎(唐津経済界の指導者)は今でいう小学生だった。

 成功の要因は三つある。まず、いい先生が来てくれた。是清に人間的魅力があり、英語を徹底的に鍛えたのが鍵。当時、最新の学問は英国人を中心とした先生が英語の教科書で教えていた。二つ目は、藩政時代の唐津藩の少年教育が民間を中心に多彩で充実していた。譜代藩で50年に一度、殿様と一緒に多くが入れ替わる。各地から新しい文化、学問が入り、耐恒寮の少年たちは、入寮前から優れた学力を持っていたのではないか。三つ目は戊辰戦争で負けた藩で、若者たちは人一倍勉強し、努力しないといけないと骨身に染みて分かっていた。

 ■幸田 是清の存在そのものが海外だったと思う。

 ■吉木 辰野金吾と曽禰。日本の近代建築を代表する2人を輩出している。偶然なのか。

 ■清水 偶然ではあるが、2人だったからよかった。対照的な2人で、辰野は見た目の通り厳しい人、曽禰は穏やかな人だった。それは建築作品を見ても分かる。辰野はあくが強く、曽禰は優しく穏やか。建築は工学であり、芸術でもある。2人はこの二面性を代表している。二面性を1人で抱えるのは難しい。2人で支え合いながら日本の建築界を築いた。同郷の2人がたまたま同じ分野に進んだからこそ、2人ともトップに立てたと思う。

清水さん「近代建築のふるさと売り込みを」

 ■吉木 唐津では大島の居宅だった旧大島邸が移築・復元された。唐津城がリニューアルし、くんちもユネスコ無形文化遺産に登録された。維新150年と時を同じくして唐津の歴史文化に光が当たっている。この機運をまちづくりにどう生かしていくか。

 ■山崎 仕事が化粧品関連で、よくフランスに行く。文化財の使われ方が日本とは違う。日本は大事に使う前提で、あれもこれもしてはいけないと規制をかける。例えばベルサイユ宮殿は見るだけではなく、中で食事もできる。唐津でもそんな取り組みができないか。

 ■吉木 唐津の歴史的建物の今日的意義、活用策を。

 ■清水 旧唐津銀行本店の新説を持ってきた。設計は辰野の弟子の田中実で、間違いなく辰野が手を入れている。辰野がやらないことが一つある。建物の3連アーチの白い部分はあまり見たことがない。ここに田中の思いがある。イタリアのフィレンツェのシニョリーア広場にある「ランツィの回廊」のイメージとそっくり。市民が国を動かしていたその中心にあるのがこの建物。辰野式に加えて唐津の町の中心、商業の中心、市民生活の中心をつくる思いが、旧唐津銀行本店に込められていると私は思う。「日本の近代建築のふるさと」としての唐津をアピールしてほしい。

山﨑さん「〝使える文化財〟の取り組み必要」

 ■吉木 最後に歴史を学ぶことの意義を。幸田さん、是清はなぜ、現代人を引きつけるのでしょう。

 ■幸田 魅力はたくさんあるが、前例のない問題にぶつかったときの発想力やアイデア、柔軟な答えを出すのが得意な人だった。

 ■宮島 政治の中心が薩長出身者だったあのころ、唐津の優秀な人たちがどうやって生きていくか。本人たちも努力したけど、裏で誰かが引っ張っていた。是清だけではなくて、小笠原長行(ながみち)とかほかにもいた。友人の九州大学教授が私によく「現代の耐恒寮をつくろうよ」と言う。皆さんの話を聞いて若い人を育てる、支える大人の役割を感じた。

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