維新150年に向け全国各地でシンポジウムやフォーラムが開催される

 「維(こ)れ新(あら)たなり」で「維新」。中国の四書五経が出所らしいが、徳川の世から新しい明治の世になって来年で150年。各地でさまざまな記念事業がスタートする。

 「薩長土肥」の鹿児島、山口、高知、そして佐賀の4県は10月7日、東京ビッグサイトを会場に合同フォーラムを開く。「近代日本の礎を築いた人・風土・文化を知り、未来を拓(ひら)く」がテーマという。明治維新を主導した「雄藩」のプライドがのぞく。

 佐賀県内でも「肥前さが幕末維新博覧会」のプレイベントとしてリレーシンポジウムが始まる。1日の唐津を皮切りに鳥栖、小城、嬉野と続く。幕末・維新期、唐津藩は西国では少ない佐幕派で、倒幕の一翼を担った佐賀藩とは相対する立場にあった。また鳥栖は基山を中心に対馬藩の領地だった。

 それぞれに違う歴史と人の生き方があり、今日につながる地域土壌となっている。唐津、鳥栖という開催順には、維新150年事業が佐賀藩礼賛一色になってはならないという佐賀県の思慮がうかがえる。それは意義あることだ。

 唐津市は顕彰事業の第1弾として「唐津八偉人」を選定した。「佐賀の七賢人」の向こうを張ったわけではないだろうが、これがなかなか興味深い。

 後の内閣総理大臣高橋是清が弱冠17歳にして教壇に立った唐津藩英学校「耐恒寮(たいこうりょう)」出身者から、建築家の辰野金吾と曾禰達蔵、実業家の大島小太郎ら4人が名を連ねる。唐津藩主の世継ぎのまま幕府老中となり、五稜郭戦争まで幕府軍と共に行動した小笠原長行(ながみち)、その側近で新撰組副長土方歳三の副官だった大野右仲(すけなか)も含まれる。

 佐賀藩のような後ろ盾がないまま自らの力で道を開くしかなかった唐津の若者は、新しい学問分野であり近代化の象徴でもあった建築学や実業を選んだのだろうか。倒幕の大きなうねりの中で幕臣として最後まで信念を貫いたゆえ、長行は「名君」と慕われるのか。時代と人物像を重ねる中から見えてくることがある。

 維新150年事業は安倍晋三首相の出身地でもある山口県と鹿児島県が先導する格好だが、事業の実施に際して歴史学者は「明治維新時の会津藩など、敗者の側にも十分目配りを」と提言していた。

 その鹿児島では西南戦争で西郷隆盛率いる薩摩軍と政府軍に分かれて戦った県出身者を弔う合同慰霊塔が完成し、先日、除幕式が行われた。西南戦争から実に140年。今回の機運がわだかまりをほぐすきっかけになったという。

 勝者の“正史”だけが歴史ではない。激動の時代を生きた人々の気概と足跡をたどりながら、地域への愛着と誇り、いわゆる「シビックプライド」を醸成していく。そうした機会になれば、さらに意義深い。(吉木正彦)

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