中尾清一郎佐賀新聞社長(左)のインタビューに答える作家の林真理子さん=東京都内

■幕末佐賀藩、劇的面白さ 「西郷どん!」では、佐賀新聞に連載された「正妻 慶喜と美賀子」に続き明

治維新期を題材にした。歴史小説を書くたびに膨大な資料を読み込み、必死に勉強されているが、その過程でこの時代のイメージは変わったのだろうか。

 「すごく変わりました。例えば外国を追い払おうとする尊王攘夷(そんのうじょうい)。そんなことできるわけないのに、無知だなと思っていたのですが、実は複雑に入り組んでいる。攘夷派の長州藩も英国に藩士を派遣して外国のことはよく分かっていた。『攘夷』といっても、単純な外国嫌いとは違う。複雑で難しいけれど、誰にでも分かる幕末の物語を目指しています。女が書くからホームドラマ的な大河だろうと言われるのが嫌なので、性根を据えてやっています」

 県民としてはドラマの中で佐賀藩がどう描かれるのか気になるところ。初代司法卿(きょう)の江藤新平は西南戦争に先立つ士族の反乱(佐賀の乱、佐賀戦争)で鎮圧されるが、薩摩まで出向いて西郷に決起を促すよう、一晩語り明かす。その時、何を話したのか。興味深いが記録は残っていない。

 「そうですね。例えば江戸城無血開城の際に勝海舟と西郷が会談したというけれど、何を話したのか。ここが作家の腕の見せどころで、こんな陳腐な話をするわけがないと思われたらおしまい。勝海舟を知るために本を読み込んでいます」

 情報も通信手段も乏しい時代に、驚くほどものが見えている人たちがいた。

 「先が見えている人たちも、なまじ主張したり、誰かを説得しようとすると、殺されてしまう。頭のいい人はあえて沈黙しているけれど、鍋島直正は頭が良すぎて主役の座から外れていったのかもしれませんね。それにしても本当にすごい時代で、みんな熱い。中国などを植民地化してきた欧米が、日本に対してなぜ、尊敬の念を抱くような違う接し方をしてきたのか。まさに奇跡のような、興味が尽きない時代ですね」

 東京には大大名としての

鍋島の痕跡が残っている。現在の首相公邸や日比谷公園の正面、渋谷の松濤町に藩の屋敷があった。ただ、県民はそうしたことをあまり知らない。県民性として懐古趣味に陥らず、昔自慢をしないことがスマートだと思ってきたところがあるのかもしれない。

 「鍋島家は近代史でも非常に重要な役割を果たしていますね。直正の次の11代当主直大(なおひろ)は初代のイタリア公使になり、ローマで生まれた次女伊都子(いつこ)は皇族の梨本宮守正(なしもとのみやもりまさ)王妃になった。その長女方子(まさこ)は日韓併合を受けた政略の中で、朝鮮王朝最後の皇太子妃となります。日本の敗戦後も独立した韓国に残り、障害児教育に身をささげ、尊敬のうちに生涯を閉じた。佐賀藩は幕末維新期で影が薄いといわれますが、近代史で一番ドラマチックな部分を担っていて、とても面白い」

 連載中の「西郷どん!」には物語の今後を方向付けるような印象的な場面がある。沖永良部島へ島流しにされた西郷は吹きさらしの牢(ろう)の中で死を覚悟するが、生まれたばかりの娘を思い出し、「おいは生きる。そしてすべての人を大切にするっとじゃ」と叫ぶ。

 「それまで死を覚悟して生きてきた彼が、愛する人がいて自分が愛されているのなら、生きていたいと思う-そんな当たり前のことに気付きます。『ようやく分かった。国とは、生きたいと思う者の集まりなのだ。それをすべて肯定することから政治というものは始まるのだ』と」

 150年前の激動の時代を駆け抜けたヒーローたちの言葉は、現代を生きる私たちに多くのヒントを与えてくれる。

 ■インタビュー後記 中尾清一郎佐賀新聞社長

 林真理子さんとは四半世紀に及ぶご厚誼(こうぎ)をいただいている。今回のインタビューも2018年・NHK大河ドラマ原作者として発表されて以来、あらゆるメディアからの取材依頼の中で実現したものである。

 林さんは流行に敏感でワイドショー的な話題にも事欠かないイメージがあるが、その実、歴史小説への取り組みは専門家から長期にわたるレクチャーを受け、膨大な参考文献を読み込む生真面目さがある。あるとき、林さんから大量の蔵書の寄贈を受けた。その中に鍋島家ゆかりの「梨本宮伊都子(なしもとのみやいつこ)日記」があり、余白にびっしりと書き込まれた林さんの取材メモに圧倒された記憶がある。

 今回、印象的だったのは幕末維新史で佐賀や鍋島藩の存在感が希薄なのは、鍋島直正公があまりに理知的で歴史の着地点が見え過ぎていたからではないか、という考察である。世人は若くして理想に燃え、志半ばで斃(たお)れる英雄を好む。尊王攘夷に目もくれず、日本人同士が戦うのを避けようとした鍋島直正は、やはり世界が見えていたのだろう。

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