作家・林真理子さん

歴史見つめ新たな船出に 私たちは、明治維新という歴史の転換期に先駆的な役割を果たした佐賀藩のことをどれだけ知っているだろうか。その時、多くのヒーローを輩出した地で、今を生きていると胸を張れているだろうか-。明治改元から150年の節目を迎える2018年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん!」の原作小説を連載中の作家、林真理子さんは、綿密な歴史考証を重ね、これまで誰も描かなかった新しい西郷隆盛像、幕末維新の物語を紡ぎ出している。「調べれば調べるほど佐賀藩の先進性に驚かされる。佐賀の人がもっと、そのことを知るべき」。佐賀の新たな船出とするために-。林さんは呼び掛ける。(聞き手・中尾清一郎佐賀新聞社長)

 上野の銅像に象徴される太った愚鈍な人物…。そんなイメージがつきまとう西郷だが、写真や肖像画を一枚も残さず、生涯は謎に満ちている。作中、西郷に友人が語り掛ける。「西郷さあは誰からも好かれておりもした。西郷さあを嫌うものは誰一人おらんかった」。その西郷が心酔し、慕ったのが薩摩藩主・

島津斉彬(なりあきら)。賢明さと美しさを兼ね備えた圧倒的なカリスマとして現れる。

 「斉彬は、よくこんな人が幕末に出てきたなと思うほど素晴らしい人物です。オランダ語、英語に通じ、反射炉も建設する。江戸にも名がとどろく。しかし、その斉彬を上回ることをやっていたのが佐賀藩10代藩主、鍋島直正ですよね」

 斉彬は藩主になって間もなく壮大な事業計画に取りかかる。佐賀藩から翻訳書を借り、鋳鉄のための反射炉を建設する。それが後に大砲や船を製造した近代工場群「集成館」になった。

 「幕末維新期には、サイコロを振って信じられない目が出るように、賢君が現れている。佐賀藩にも鍋島直正という素晴らしいリーダーが登場したのだと思います。直正と斉彬はいとこ同士です。直正は不治の病だった天然痘の根絶を目指し、日本で初めて予防接種に当たる種痘を始めた。斉彬は初めて写真を撮ったともいわれていて、すごいですよね」

 斉彬は、西洋技術を学ぶ家臣に「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も同じく人なり」と励ました。日本で初めて鉄製大砲や蒸気船を建造した佐賀藩は、斉彬にとっても仰ぎ見る存在だったが、幕末維新の歴史では影が薄い。「薩長中心史観」ともいわれ、倒幕のプロセスに

関与が乏しかったからとされる。

 「直正は頭が良すぎて、先が見えていたのではないか。国内の内戦で家臣を死なせたくなかったのだとしたら、もっと別の評価をされてもいい。例えば水戸は自分たちのことをすごいと思っているけれど、あまりにも同志が死にすぎて明治政府に人材を出せていない。佐賀は人も死なず政府の中枢に入り、恵まれた時代を過ごせたのではないでしょうか」

 県が16年夏に実施した県民意識調査では、鍋島直正を「知っている」と答えた人は60・9%にとどまり、佐賀藩の偉業を「知らない」人が62・8%に上った。

 「県民が佐賀藩の活躍を理解していないことに驚きました。佐賀の歴史をもっと知った方がいいですよね。今は薩摩と長州の勉強で手いっぱいですが、私も佐賀のことを勉強しなきゃ。佐賀の人には誇りを持って『明治維新150年』を迎えてほしい。それが新しい佐賀の出発になるよう、陰ながらお手伝いします」

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 明治維新150年のプレ企画として、幕末維新期や往時の佐賀をリレーインタビューで捉え直し、現代社会にも示唆を与える時代の精神性を見つめます。

 はやし・まりこ 1954年、山梨県生まれ。日本大学芸術学部卒業。コピーライターとして活動後、86年に『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞、95年に『白蓮れんれん』で柴田錬三郎賞、98年は『みんなの秘密』で吉川英治文学賞を受賞した。2012年から佐賀新聞など全国13の地方紙で『正妻 慶喜と美賀子』を連載。第24回九州さが大衆文学賞の特別選考委員を務める。

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