大正期の貴重な洋風建築で、白色の下見板張りが外観の美を一層引き立てている=佐賀市嘉瀬町

南面から望む

■洋風建築貴重な資料

 近世になって嘉瀬が歴史的に脚光を浴びるようになったのは、何といっても嘉瀬津が、村の中央を東西に貫く長崎街道の重要な位置にあったからです。

 長崎街道は、日本唯一の貿易港・長崎に通じる脇街道であり、嘉瀬川の河港である嘉瀬津は、江戸時代を通じて長崎街道の宿場町として栄えました。

 町は嘉瀬上町、下町に分かれ、藩はここに津方を置き、港を開いて商取引の全てを管理していました。この地域は本来、農業生産地で、交通商取引の盛んなところでもありました。

 このような環境に立地する原田家について、自治沿革の昭和風土記によると、当主の祖父原田貞六は明治12(1879)年にこの地で生まれ、嘉瀬村の村会議員を20年務めたと記されています。

 明治38(1905)年、同村で原田医院を開業し、その後、大正2(1913)年にこの地で開業し、昭和38(1963)年に閉院しました。この建物は当時の姿を今日までとどめています。

 内部は多少改装されていますが、洋風建築の特徴である屋根の軒先は、たる木を隠すため板を張っています。白色の下見板張りは外観の美を一層引き立ててくれます。

 この建物は市内に唯一残存する大正期の洋風建築で、貴重な資料と遺構を提供してくれます。

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