集まった報道陣の質問に答える岸本英雄玄海町長=玄海町役場

■町民の本音置き去り

 7日午前10時15分すぎ。町議会一般質問を2日後に控え、打ち合わせで町長室に閉じこもっていた岸本英雄(63)は、休憩のために部屋を出た際、報道陣に囲まれた。「(九電に電話を)したか、(これから)するか」。記者の問い掛けに、「やっちゃいました」

 福島第1原発事故直後の2011年7月。岸本は停止した原発の中で運転再開第1号となる同意判断を下していた。時の民主党政権からはしごを外され、苦汁をなめてから5年8カ月。2度目の「同意」の場に、当初呼ぶ予定だった九電社長の姿はなかった。

 2月中にも同意し、県に早期判断のプレッシャーをかける考えだったが、「県にどれくらい気を遣うか。迷いもあった」。ストレスからか「血尿が出たもんね。下手したらまた入院しろと言われる」。

 批判の矢面に立つ首長ならではの苦悩。ただ、町民以外にも影響を及ぼす重大な決断は、混乱を避けるため、電話1本の「報告」で済まされた。悩みは判断の時期だけで、同意はあくまで既定路線にすぎない。

 「3・11」後も、町ぐるみで原発の是非を論議する場はほとんどなかった。13年の町議選は初の無投票。翌年の町長選も、反対を掲げた候補がほとんど選挙活動をせず、争点化しなかった。「再稼働に賛成する町民が多いのは分かっている」。岸本は住民説明の場の必要性を否定してきた。

 町内に住む唐津市職員の小野政信(60)は岸本の言葉に違和感を持った。職員組合の全国大会で発表するために2年半前、1カ月かけて原発周辺の町民100人の意見を対面で集めた。匿名を守る条件付きだ。

 「放射能の不安はあるが今更原発をやめろとは言えない」「事故が起きることは福島が証明した。それでも田畑がある、先祖の墓があるこの土地を離れられない」-。賛成、反対では片付けられない意見も数多く返ってきた。

 2月21日、唐津市での県民説明会。町民と明かして「万が一健康を損ね、なりわいを奪われ、ふるさとを追われた時の責任をお金以外でどう取るのか」とぶつけた。報道で知った町民から「よう言ってくれた」「勇気のあることをしてくれた」と反響があった。

 それでも反対運動に足を突っ込むつもりもない。かつてプルサーマルに批判的な意見を述べた記事で「50代の公務員」との表記にもかかわらず、「あんたが言うたとね」と“犯人捜し”が始まった。「表に出て運動する踏ん切りがつかない。それが地域に住む中での限界」と漏らす。

 「『黙して語らず』が町の体質」。半世紀前の誘致話以降、一貫して原発反対を訴えてきた元教師の新雅子(83)はそう表現する。「顔を出して反対できる人間は町には3人くらい。なんとか突破口をつくらないと。薄ら笑いされても言い続けなければいかん」

 岸本はこの日、「日本のエネルギー計画の一翼を担っている。その誇りをわれわれ玄海町民はなくすわけにはいかない」と胸を張った。町民の揺れる思いは置き去りにしたまま、町は再び原発とともに生きる道を歩み出した。(敬称略)

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 玄海町長が玄海原発3、4号機の再稼働に同意した。全4基停止から5年余り。何が変わり、何が変わっていないのか。地元の「今」を追った。

=考 玄海原発再稼働=

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