「佐賀人は真面目すぎる。もっと面白がりになった方がいい」と語る歴史学者の磯田道史さん=京都市の国際日本文化研究センター

■佐賀人、もっと面白がろう 1808(文化5)年、英国軍艦が長崎港に侵入したフェートン号事件で、佐賀藩は早い段階で交戦に近い状態を経験し、西洋の正体を知ることになった。磯田さんは、幕末をマクロ的

に見ると、鍋島直正と薩摩の島津斉彬(なりあきら)の藩主2人が

正確に先を見ていたと分析する。

 「直正は現実主義者で、思想に走らず地道に実務をこなした。海外から軍艦や大砲を買うのではなく、西洋型の工業社会をつくるという発想があった。勝海舟は産業化までは思考していない。戊辰戦争では佐賀藩が造ったアームストロング砲が使われ、大規模な内戦にも関わらず一気にけりがついた。日本は列強の介入を招くことなく独立に向かい、植民地化を防ぐことができたといえます」

 西欧で変革の原動力にな

った蒸気機関を生産するため、佐野常民は他藩と事実上「鎖国」状態にあった佐賀藩に、久留米藩出身で京都にいた「からくり儀右衛

門」こと田中久重ら技術者4人を招く。久重は蒸気船

や蒸気機関車など未知への好奇心が強かった。

 「有名人の部類に入るかもしれないけれど、『からくり儀右衛門』はすごかった。弓を引く人形など当時の世界にないものですよね。人から与えられた目標ではなく、自身の中から湧き出てる目標に向かって進んだ。真に面白いと思えるものをひたすら追求する『オタク性』があった」

 「こうした人材がいた一方で、佐賀藩にはよくない点もあって、秀才や技術者に目標を与える傾向があった。『これを作ってくれ』と言われれば、その枠組みの中で走ってしまう。幕末期だけでなく現代においても、『からくり儀右衛門』のような内発的な動機によるものづくりが大事です」

 佐賀藩の技術開発集団は、日本初となる蒸気機関車のひな型試作に成功した。

 「佐賀藩は官僚的近代国家に適した人材を数多く輩出し、テクニカルな国家形成に貢献したといえます。ただ、明治近代化から昭和までのモデルともいえる。平成を生きる上ではどうか」

 「西洋の技術導入にあたり、海外の技術を超えるには至っていない。世界の先頭ではなく、近くか2番目までにとどまっていて、これは『佐賀限界』と言ってもいい。佐賀人は真面目すぎる。世界一のものづくりを目指すなら、もっと面白がりになった方がいい」

 徳川家に取り立てられた鍋島家は幕府への恩義もあり、薩摩や長州のように積極的な倒幕活動を展開しなかった。明治政府樹立後、佐賀は出世競争で薩長閥に遅れを取ったという見方もある。

 「佐賀はまっしぐらな生真面目さがあだになった。維新後は薩長が主な政務を担い、佐賀は縁の下の力持ちのような存在だったのかもしれない。佐賀はあれだけ日本の近代化に貢献しながら、現在は県内に一部上場企業が本当に少ない。今を生きる佐賀人も合理的な性格を受け継いでいるはず。権力に使われるようなところにとどまっていてはもったいない」

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