武広勇平氏

鶴田直輝氏

 3選を目指す現職の武広勇平氏(37)に新人で元町会計管理者の鶴田直輝氏(66)が挑む三養基郡上峰町長選。ふるさと納税の活用方法や子育て支援など、まちづくりの方向性について論戦が繰り広げられている。両候補の横顔を紹介する。

■武広勇平氏(37) 考えまとめるランニング

 国会議員秘書を経て、2009年の町長選で初当選し、当時の全国最年少首長に。「小池都知事ではないが、鎮西山から飛び降りる覚悟だった」と振り返り、「あの時感じた周囲からの期待に、まだまだ応えられていない」と3期目を政策実現の時と位置付ける。

 政治家を志したのは小学6年の時。卒業文集をめくると「世の中のために役に立つような政治家になりたいです」の文字が躍る。

 都内の大学に進み、目の当たりにしたのは際限なく開発が続く街並み。「地方と都市の格差が開くばかりだと感じた」。大学卒業後に起業家の大前研一氏が創設した「一新塾」の塾生となり、「現場主義と地域マーケティングの大切さ、面白さに気づいた」。

 30歳を過ぎて走りに目覚め、目達原駐屯地のランニングクラブに加わり、唐津から福岡までの夜の強行軍に参加した経験も。「考えをまとめるのに役立つし、健康にもいい」と言い、目標は「町中にランニングコースをつくること」。

 大前氏の「企業参謀」を愛読。気になった言葉はネタ帳にためる。ハイブリットカー先駆けの初代プリウスが愛車であることがひそかな自慢という。父、母との3人暮らし。堤。

■鶴田直輝氏(66) 被災地で業務防災危機感 

 公務員の父の背中を見て育った。「戸籍がまだ手書きの時代。達筆な文字に憧れた」。大学卒業後は迷わず当時の上峰村役場の門をたたき、各課長を歴任。定年まで勤め上げた。「町役場に以前のような活気がなくなった」と感じ、職員の気持ちを誰よりも分かる存在として、首長となる決意を固めた。

 退職後、東日本大震災で津波被害が大きかった宮城県南三陸町に約2年間、任期付き職員として単身赴任した。当初はデスクワークが中心で「被災地の現状を見たい」と高台移転に伴う用地買収業務を志願した。目の当たりにしたのは人々の日常が一瞬で奪われたという残酷な現実。「同じような災害が上峰でも起きるかもしれない」。防災に強いまちづくりの公約は、その危機感から生まれた。

 若い時は野球やソフトボールに熱を出したが、30歳を過ぎてからはゴルフが趣味に。「うまくいかないところがいい。いろんな状況で判断を下さないといけない」とまちづくりにも通じるという。

 戦国武将・武田信玄の「人は石垣、人は城、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」がモットー。告示前まで妻とつじ立ちもした。子どもは共に海上自衛官の1男1女。坊所。

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