昨年は3年連続のノーベル賞受賞で、科学における日本の可能性を改めて感じることができた。この科学技術を人々の豊かさにどうつなげるかが課題だが、活用の判断を誤れば、大きな損失を出すこともある。科学は可能性と危険性が隣り合わせにあるだけに、向き合い方が問われている。

 最先端科学で一番熱いのは人工知能(AI)ではないか。身近なところでは車の自動運転技術やロボット開発で活用が期待される。

 人の指南役も務めるだろう。証券会社では投資先の選定にAI活用を研究し、経産省は職員の深夜残業を減らすため、国会答弁書を下書きさせる研究に着手する。AIの質問を議員が読み、AIの答弁書で大臣が応じる時代が来るかもしれない。コンピューターへの過剰な依存が広がる怖さはある。

 チェスや囲碁、将棋でプロ棋士がAIに負けることもある。今は人間を補佐する役割にとどまるが、「いつかは人間から自立する」と指摘する研究者も多い。人は自ら考え、判断するAIを制御できるのか。暴走を食い止める研究も同時に進めておくべきだ。

 科学技術への投資は政治と密接不可分な関係にある。研究開発に膨大な予算を投じたプロジェクトはなかなか歩みを止めない。その最たるものが原発だろう。

 福島の原発事故で事故処理費は21兆円に及ぶ。炉心溶融した原発を安全に廃炉にする技術は今も確立していない。21兆円さえ通過点で、さらに膨れあがるおそれがある。それだけの事故リスクの大きさを知りながら、この国の原発依存は当面続く。

 高速増殖炉「もんじゅ」となると、さらに疑問を感じる。研究開発などに1兆円以上を投じながら、液体ナトリウムの爆発事故が続き、廃炉の方針が決まった。国はそれでも計画をあきらめず、次の高速炉開発に乗り出す考えだ。

 原発の使用済み核燃料の再利用は資源小国の日本にとって夢の技術かもしれない。ただ、開発の見通しが立たないまま、再び膨大な国費を投入していいのか。国策を絶対視するのではなく、安全性や費用対効果など総合的に判断する仕組みが必要ではないのか。

 科学技術への判断力が必要なのは県政も同じだ。九州新幹線長崎ルートに導入予定のフリーゲージトレイン(FGT)は開発が難航している。今夏までに国が最終判断するとみられるが、もし開発できなければ、巨額の県民負担が必要な全線フル規格での整備を求める声が周囲から強まるだろう。

 県は「FGTを開発する」という国の約束を信じ、新幹線計画に同意した。県は今、開発の成功を願うしかない。しかし、新幹線を高速で走る技術と在来線の大きなカーブを曲がる技術の両立が簡単でないことは事前に知ることができたはずだ。科学技術の可能性を慎重に検討することは地方自治体にも必要で、はじめから国任せでは判断を誤ることもある。そういう視点を今後は持ち合わせたい。

 科学の進歩は著しい。しかし、政治や経済のあらゆる分野に科学技術が関わる以上、難しいと避け続けては正しい判断ができない。技術者でなくても科学を教養として学び、社会への影響を考察する教育が必要だ。知識の詰め込み型の教育を続けてはAIにすぐに追いつかれるだろう。(日高勉)

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