長崎土産の「肥前長崎図」。「ゑびす町」の通りに「タケヲ」と記されている。また、海に面した一角に「肥前サガ」、さらに「タク」「カラツ」の屋敷も描かれている

■肥前長崎図に位置記載

 江戸時代、西洋文化の窓口となった長崎を訪れる人々への土産として、長崎版画と呼ばれる長崎の絵図をはじめ、オランダ人や唐人、あるいは象、ラクダ、ダチョウなどの絵が売られていました。

 その中の一枚に、恵美須町に置かれた武雄屋敷が描かれた「肥前長崎図」があります。文化8(1811)年成立の『長崎古今集覧』「諸家蔵屋敷」の項にも「武雄越後(武雄領主鍋島茂順のこと)蔵屋敷 恵比須町」とあり、19世紀初めには武雄の蔵屋敷が恵美須町に置かれていたことが確認されていたものの、正確な位置は特定できませんでした。

 近年、香川大学の神原文庫にある「長崎市中地割絵図」に、恵美須町に「武雄屋敷四ケ所」(1カ所はおよそ60坪の面積=約200平方メートルにあたる)として、長崎に置かれた武雄屋敷の位置が正確に記されていることが判明しました。約800平方メートルの比較的大きな屋敷であったようです。

 また、双方の絵図には武雄の家臣平山醇左衛門や武雄領主鍋島茂義が入門した西洋砲術の第一人者高島秋帆の屋敷も記されています。

 江戸時代、長崎警備を任された佐賀藩の一翼を担った武雄。武雄とこの長崎屋敷とを行き来する家臣らによって武雄の膨大な洋学コレクションが形成されました。

 ちなみに、かつての武雄屋敷の場所は、現在、路面電車が走る道となっていて、桜町の電停から少し長崎駅側に向かう場所、恵比寿町病院があるあたりです。そして、現在のJR長崎駅の場所には大きな佐賀藩邸がありました。

(武雄市図書館・歴史資料館 川副義敦)

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