東日本大震災から6年。津波と放射能がもたらした惨禍からの再生を目指し、被災地は一歩ずつ歩み続けている。

 ふるさとを取り戻したい-。慣れ親しんだ土地へ戻ろうと決めていた住民の意識は、この6年で大きく変わってしまったのかもしれない。避難先での暮らしが安定したのに加え、たとえインフラ整備が進んだとしても、地域コミュニティーがいったん損なわれてしまった土地へ戻るのは難しいと考えているようだ。若い世代を中心に、帰郷をあきらめる傾向が強まってきた。

 とりわけ、東京電力福島第1原発事故の影響で避難した区域では、避難指示が解除されても戻る人は限られている。これまでの帰還率は、13・5%にとどまる。

 不安も当然だろう。被災前から東北地方は人口減少局面に入り、高齢化も進んでいた。震災で若い世代の人口流出が一気に加速し、高齢化が深刻化している。この先、医療や介護、買い物などの生活インフラをどう確保し、維持していくのか。未来を描くのが難しい現実がある。

 復興は5年間の「集中復興期間」を経て、昨年からは「復興・創生期間」へと移った。この春には、いくつもの事業が区切りを迎える。

 原発避難指示は今春、新たに4町村で解除され、避難区域は当初の3分の1にまで縮小される。避難区域内の商工業者に支払われる「営業損害賠償」は2月までで実質的に打ち切られ、自主避難している人たちへの住宅の無償提供も今月いっぱいで終わる。

 確かに、目に見える部分に限れば、復興は進んだようにも思える。沿岸部からはがれきが取り除かれ、巨大な防潮堤や、高台の住宅も整備されてきた。除染済みの地域が広がり、空間放射線量も低下した。

 だが、一律に支援を打ち切ってしまえば、置き去りにされる人がいないかが気がかりだ。同じ被災者でも、それぞれに抱える事情は異なる。社会から孤立し、切り捨てられる人が出ないよう、行政など支援する側には一層きめ細かな目配りが求められるだろう。

 被災者を傷つける差別や偏見、そして風評被害も深刻だ。福島から避難してきた子どもたちがいじめの標的になっているという信じがたい現実がある。こうした差別を許すわけにはいかない。

 被災地から遠く離れた佐賀に暮らす私たちに何ができるだろうか。

 福島県は昨年、喜多方市の名木「鏡桜」をあしらったポスターを作成した。満点の星空の下、満開の桜が湖面に映っている幻想的な写真とともに、「来て」の2文字だけ。遠のいた観光客を呼び戻したいというメッセージである。

 ポスターの呼びかけに応えて、実際に現地に足を運ぶのがベストだが、そうでなくてもできることはある。被災地で作られた産品を手に入れるのはたやすく、売り上げは被災地を着実に潤す。それは、福島の生産者を苦しめている風評に打ち勝つ行動でもある。

 日常を取り戻すために闘っている被災者のために何ができるか。私たちひとりひとりが小さくとも行動で示しつつ、震災関連死を含めて2万人以上となった犠牲者の冥福を祈りたい。(古賀史生)

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