地区内の三つの講から集まった計18人の若者たちが、掛け声とともに水をかけ合った=神埼市千代田町大島地区

裸にさらしを巻いた参加者たちは当番の講元の家に集まり、精進料理で酒をあおって出発する

講元には過去の「迎え講」の詳細な支出の記録が残されている

■英彦山参拝へ体を清め

 「せーの」の掛け声で、二手に分かれた裸の男たちが一斉にバケツを振り上げると、水が高く弧を描いて相手方の肌を打ち付ける。

 今月11日の夕刻、神埼市千代田町大島地区で開かれた「水かけ祭り」。この日、佐賀県南部は前夜からの雪で、最低気温は氷点下4度を下回った。びしゃっ、びしゃっ、と勢いよく降り注ぐ水しぶきは、せっかくの日差しの名残を遠慮会釈なく奪って、見ている方まで肌があわ立ちそうになる。

 クリークが縦横に走る地域ならではのこの行事は、地元で「水かかい」と呼ばれ、英彦山に参拝するため、その1カ月前に水を掛け合って身を清める儀式。約250年前、疫病がはやった際、たまたま英彦山から訪れていた山伏の祈祷で病気が鎮まったことから、感謝をこめて参拝が始まったと伝えられる。

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 福岡と大分にまたがる英彦山は古くから修験道の一大霊場として知られ、農業神としても崇拝されてきた。藩政期、佐賀藩の歴代藩主が数多くの寄進をするなど、信仰心のあつい地域性から、佐賀平野の各地で「権現講」という講集団がつくられ、春先の農閑期に代表者数人を参拝させる「代参」が盛んに行われてきた。

 現在約80戸の大島地区には三つの権現講があり、「水かかい」の日には、参加する若者が当番の講元の家に集まって腰にさらしを巻き、白足袋をはいて準備する。彼らのために用意されたお膳には、白豆腐やごま和えなど精進料理が並ぶ。

 参拝に出発する直前、代参者が講仲間を家に集めてもてなす「参詣講」までは精進料理、参拝が終わって講元で開かれる「迎え講」になると、「魚もの」の鉢盛りなどで宴席は華やぐ。

 地区には太平洋戦争末期の昭和20(1945)年3月にも、当時貴重品だった酒を準備し、かまぼこや手近で集めた川魚で「迎え講」を開いた記録が残っている。ただ、近年は参拝者が少なく、講が流れたことを示す「よろい講」も珍しくなくなった。

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 かつては青年団が担った「水かかい」だが、現在は消防団が主役。今年、講元の一つを務めた中村広幸さん(59)方に集まった若者は6人。デビュー戦の24歳から、最高齢は45歳と幅広い。

 「これだけ世代の違う住民が年に1度、一つになれる場ですよ」。ほぼ毎年参加しているというベテランの實松秀昭さん(39)は言う。

 昔は集落内を回って何回も水の掛け合いが続いた。家々ではお風呂をわかし、こごえる若者たちを温めたという。今はわずか30分足らずの行事でも、高齢化が進む集落にとっては、年若い隣人たちの存在を確かめる貴重な機会である。

 「水かかい」が終われば、講仲間が集まって、当番の講元で宴会が始まる。「みんな、息子みたいなもんだから」。子どもが県外に出て、もてなす側に回るだけになった中村さんは、若者たちをねぎらった。

【余録】 英彦山がらがら

 英彦山に参拝すると、「英彦山がらがら」と呼ばれる魔よけの土鈴とお札を講仲間に買って帰るのが決まり。英彦山がらがらは、「太陽」を意味する赤と、「水」を意味する青で愛らしく塗られ、5個ひとそろいで乾いた音色を立てる。大島地区には明和8(1763)年に建立されたとされる「英彦山大権現」の石碑もあり、参拝者はここにもお参りする。老朽化で崩落しかけていた石碑だが、今年住民らで改修したばかり。

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