高さ約10㍍の仕掛け花火「じゃーもん」。四方に激しく火花を散らしながら、祭りのクライマックスを飾る=有田町大木宿、龍泉寺

けんか浮立「どてまかしょ」では、作業着姿の若者たちが一番鉦の争奪戦を繰り広げる

「十八夜」の幕開けは浮立の道行き。江戸時代の宿場町の風情が残る大木宿の街道沿いを1時間ほど練り歩く

■夏空駆け上がる回転花火

 旧西有田町の大木宿は、その名の通り江戸時代の宿場町。当時盛んに海外へ輸出された有田焼を、積み出し港の伊万里津まで運ぶ荷担い職人らが足を休めた。

 そんな往時の名残をとどめる街道沿いの家々に「御仏灯」のちょうちんがともるのは毎年8月18日。近くの龍泉寺の縁日「十八夜」の祭りである。

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 日盛りの暑さが、ようやく和らいだ午後7時。祭りは浮立の道行きで幕を開ける。主役は地元の若い男衆でつくる「十八夜会」。高校生から45歳まで、今年は76人が名前を連ねた。

 早朝から集落の入り口に竹で作った門柱を立て、食事の支度に仕掛け花火の準備など、祭りの一切を取り仕切る彼らの一日は忙しい。

 「普段、高校生が近所のおじさんたちと会話する機会はほとんどないでしょ。それが年長者の指示で、自分の役割をこなしながら、地域のルールを学んでいく。時には一緒に悪ふざけもして、ずいぶん年齢差のある部活みたいなもんですよ」。会の一員で町役場職員の浦郷保之さん(36)は言う。

 青年団活動が活発だった時分は、30歳を過ぎれば引退する決まりだったが、年々頭数がそろわなくなり、これまで何度か「定年」が延長された。少子化と若者の流出は、歴史ある集落にも淡い影を落としている。

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 午後8時。道行きの一行が龍泉寺の境内に到着すると、待ちかねた大勢の見物客から拍手が湧く。太鼓や鉦(かね)がひときわ高鳴って、けんか浮立「どてまかしょ」が始まる。

 作業着の若者が二手に分かれ、重さ30~40㌔の一番鉦を巡って争奪戦を繰り広げる。縁起ははっきりしないが、一番鉦は人命や稲といった「宝」の象徴で、それを奪おうとする災厄との攻防を表現している―そんな住民の解釈には説得力がある。

 「十八夜」はもともと、江戸前期の万治年間(1658~1661年)に行われた雨乞い浮立が起源。幕末ごろ、こうしたけんか浮立に変わったらしい。

 「昔は暴走族まで飛び入りし、本気でけんかしていた」というが、今はけがをしない、させないが鉄則。それを寂しがる住民もいるのだが、時代の空気に敏感なことも、逆説的には伝統の条件なのだろう。

 激しい浮立に鼓舞された戦いは、めでたく鉦が守り抜かれ、今年の頭領を務める川久保貞博さん(43)が境内中央に立てられた高さ約10㍍の仕掛け花火「じゃーもん」に点火した。3段式の回転花火が激しい火花を四方に散らして、夏の夜空へと駆け上がる。まるで大団円の祝祭のようだ。

 今年から十八夜会に加わった有田工業高1年の松尾大和さん(15)は「いろんな人が祭りを支えているのがわかった。きつかったけど、達成感の方が大きい」と声を弾ませた。

 祭りを通して地域に若者が育つ。先人の奥深い知恵に触れた気がした。

【余録】大木浮立

 「十八夜」に欠かせないのが大木浮立。伊万里や佐世保、北松浦半島に広く伝わる浮立の〝本流〟ともいわれ、地元の大木宿浮立保存会(諸隈勝實会長、約30人)を中心に、笛や鉦、地ばやしなどの面々が、祭りの夜をにぎやかに彩る。けんか浮立「どてまかしょ」で激しく打ち鳴らされる太鼓の皮面は黒く変色している。ばちを握るこぶしからにじんだ血の跡だという。

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