明治維新から150年となる来年へ向け、機運が高まってきた。幕末・維新期に活躍した佐賀出身の偉人の再評価も進むことだろう。明治の元勲・大隈重信もその一人。きょうは96回目の命日である◆首相を2度務め、早稲田大も創設した大隈の足跡は多岐に及ぶ。一方、困難の連続でもあった。政変での挫折。爆弾にみまわれ右足を喪失。離婚も経験し、家庭的にも必ずしも順風満帆ではなかった。それでも前向きな人生観を持ち続けたのは、母三井子の教育が根本にあったことは疑いがない◆喧嘩(けんか)をするな▽人をいじめるな▽いつも先を見て進め▽過ぎたことを振り返るな▽人が困っていたら助けよ-。三井子が残した「人生五訓」である。現代の私たちこそかみしめたい言葉だ。神仏を熱心に信心し、慈愛の精神に満ちた人だったからこそ生まれた教えだろう◆大隈が13歳の時に夫を亡くした三井子は、女手一つで育て上げた。喧嘩早い大隈に対して、三井子は「喧嘩する前に南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を10回唱えなさい」と諭した。大隈が42歳の厄年を迎える時、厄除けに蓮(はす)から取った糸を自ら紡ぎ、京都・西陣で観音図を織らせ、全国の寺へ奉納したという◆旅先でそれを見た大隈は、母の思いに触れ、掛け物に向かって最敬礼をしたそうだ。三井子は90歳の天寿を全うした。その大往生を大隈がそばで見守ったのはいうまでもない。(章)

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