佐賀県第2の都市で、北部九州を代表する観光都市唐津市。その潜在力をもう一度見直す時が来ている

 来年の明治維新150年を前に、佐賀藩の先進性、雄藩ぶりが語られている。では唐津藩はどうだったか。唐津市が市制施行50周年の1982(昭和57)年に発行した記念集は次のように記す。

 -明治維新時、唐津藩は佐幕派として新政府から冷視され、新制度の変動もあって、極めて不安定な状態にあり、富商たちは姿を消し、町は極度にさびれた、と。

 そもそも佐賀藩主鍋島家は徳川250年の歴史を通じて転封もなく、一貫して肥前の領主だった。一方、唐津藩は譜代大名、つまり関ケ原の戦い以前から徳川家に仕えていた大名が頻繁に交代した。

 統治、為政の違いが風土と相まって気質の違いを生んだのだろう。唐津くんちに象徴されるように、唐津は商人の気風が強く、豪気、という市民性である。

 そうした状況にあって維新後の唐津は海運など海に臨む立地を生かした諸産業、なかでも石炭産業が地域経済をリードし、域内の金融業、交通網の発達を促した。

 さらに、自分で道を切り開くしかなかった若き旧藩士らの情熱が、沈滞していた地域に活気を呼び戻した。

 佐賀藩で仰がれる人々が「佐賀の七賢人」に代表される政治家や官僚が主であるのに対し、唐津では建築家の辰野金吾、銀行家で唐津港などの整備に尽力した大島小太郎ら実務、実業家が語り継がれるのも、そうした由縁だろう。

 では今はどうか。戦前からいち早く上海の外国人らを対象に「国際観光都市」を掲げてきたが、インバウンドの波に乗り切れていない。全国と比較して農漁業など第1次産業の就業率が高いが、情勢は厳しい。市政をめぐるここ数年の混乱もあって、市民からは「唐津の輝きはどこに行ったのか」と嘆きが聞こえてくる。

 ただ嘆くだけでは何も変わらない。もう一度、地域の潜在力と強みを見直し、再興への道筋を求めていくことが大切だ。

 萌芽(ほうが)はある。唐津の農産物や天然資源を原料に化粧品産業の集積を目指すコスメティック構想が形を成し始めた。昨年の合唱組曲「唐津」公演は依(よ)って立つ精神風土を再認識させ、今年公開の大林宣彦監督映画「花筐(はなかたみ)」は唐津の原風景と心を全国に発信する。

 さていよいよ唐津市長・市議選を迎える。合併後の基盤整備を最大課題としてきた坂井市政3期が区切りを付けると同時に、内外を取り巻く状況を考えると、いつにも増してその意義は大きい。

 前段として15日は立候補予定者公開討論会(午後3時、市民会館)が開かれる。本紙では検証連載を始めた。直面する地域課題、生活課題と、50年後、100年後を見据え、各々の主張に目を通し耳を傾ける中で、唐津の将来像を描いていきたい。(吉木正彦)

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