庭園とともに移築復元された旧大島邸。茶室を3室備え、和の雰囲気が漂う=唐津市南城内

 この週末、唐津くんち11番曳山(やま)「酒呑童子(しゅてんどうじ)と源頼光(みなもとらいこう)の兜(かぶと)」(米屋町)が総勢300人の曳き子とともに福岡市天神のビル街を駆けた。ユネスコの無形文化遺産登録を記念した九州合同イベントだ。

 博多祇園山笠はおなじみとして、想像上の動物「亀蛇(きだ)」が舞い踊る「八代妙見祭」など祭りの多様性を再認識させた。唐津くんちの「鯛(たい)曳山」を見慣れた博多っ子も、酒呑童子の迫力ある眼球に驚き、畏怖さえ感じたことだろう。

 唐津くんちが商人の豪気さを伝えるように、祭りはその地域の風土と気質を伝える。アイデンティティー、つまり、拠(よ)って立つ精神と言っていい。それは建物、歴史的建造物も同様である。

 各地で歴史的建造物を活用したまちづくりが進む。もちろん単なる建物の保存ではない。戦後の開発至上主義の流れの中で見失ったものを取り戻そうという精神復興の側面も大きい。

 唐津市では旧大島邸が移築復元され、連休前に開館した。旧唐津銀行の創立者で鉄道、港湾など社会基盤整備に尽力した大島小太郎の邸宅であり、城内に唯一残る明治期の近代和風建物だった。

 移築復元までは紆余(うよ)曲折があった。隣地での小学校建設に伴い解体される予定だったが、住民が保存運動に立ち上がり、建設費の支出差し止めを求める住民監査請求を起こした。移築決定後も1口千円の寄付で瓦の裏に名前を残す「瓦一枚」運動に取り組んだ。

 唐津において住民が行政を動かした「画期的な出来事」と今も評される。ただ熱気もいつしか冷め、1年を通じてどう活用していくか、具体策は見えない。土地取得費を含め10億円を投じた事業ながら「負の遺産」にならないか、早くも危惧する声が聞かれる。

 市議会では位置づけをめぐって今なお「観光施設か文化施設か」という論議が交わされている。観光施設であれ文化施設であれ、どう活用するかが肝要であり、使い続けていくことで、いつか「平成の歴史的建造物」となる。

 茶室を備えた邸宅が実業家であり文人だった大島の人物像を伝えるように、平成の時代にその精神を引き継ごうとした市民の気概を100年後、200年後の人たちに伝えるはずだ。

 旧大島邸の周辺には明治時代の炭鉱王高取伊好の邸宅で国重要文化財の旧高取邸や、家族の居宅だった舞鶴荘が残る。唐津城とともに、幕末・明治期の唐津の息吹を感じさせる歴史ゾーンである。

 曳山のユネスコ文化遺産登録に続き、作家檀一雄が唐津の風土に触発された「花筐(はなかたみ)」が映画となって公開される。唐津に息づく気風が脚光を浴びようとする今こそ、和文化の薫るまちづくりを進める好機であり、旧大島邸を核に機運を広げていきたい。(吉木正彦)

このエントリーをはてなブックマークに追加