「それは、私にとって、一つの恋のようなものだった」-。沖縄への思いを芸術家の岡本太郎が振り返っている。大阪万博のシンボルとなった「太陽の塔」を手掛ける前、米国施政下の沖縄を2度訪れた◆昨年出版された『岡本太郎の沖縄』(小学館クリエイティブ)に収められた岡本の写真は、どれも生命力にあふれている。三線(さんしん)をつまびく男、はにかみながらレンズから目をそらす老女、闘牛を見つめる少年たち…。モノクロームだというのに、着ている紅型(びんがた)の色まで鮮やかに伝わってくるようだ◆経済白書が「もはや戦後ではない」と高らかに宣言してなお、沖縄は取り残された。1965年、当時の佐藤栄作首相が「沖縄の返還が実現しない限り、我(わ)が国の戦後は終わらない」とようやく交渉に乗り出したが、本土復帰は実現まで7年も待たねばならなかった◆「この南の素っ裸の島から、遠くふりかえってみると、私は『日本』を深い歴史の層の下から、あらためて再発見する思いだった」「復帰が実現した今こそ、沖縄はあくまでも沖縄であるべきだ。沖縄の独自性を貫く覚悟をすべきだ。決して、いわゆる『本土なみ』などになってはならない」と熱望した◆復帰からきょうで45年。米軍基地を抱え、日米地位協定に苦しみ続ける沖縄の姿を、泉下の岡本はどう見ているだろうか。(史)

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