<十といふところに段のある如(ごと)き錯覚持ちて九十一となる>。アララギ派の歌人、土屋文明(つちやぶんめい)の一首である。1990年に100歳で亡くなったが、この歌はその10年ほど前のもの◆なぜ人は10年単位で年をとったという実感を持つのか。それはまさに錯覚である。されど、「どこかで特別な時間と意識することで、生きることに人はめりはりをつけている」とは歌人、永田和宏さんの見方である◆高齢者の定義について議論が起きている。日本老年学会などが、高齢者を従来の「65歳以上」から「75歳以上」に引き上げるべきだと提言した。確かに生涯現役が時代の流れだが、どこぞに年金支給年齢の引き上げなど、社会保障費を削ろうとの魂胆がありはしないかと考えるのは、うがち過ぎか◆高齢者とは気の持ちよう。「今日から高齢者ですよ」と言われてなるものではないし、「高齢者じゃない」と言われシャキッとなるわけでもない。人生のスケジュールはそれぞれである◆「還暦 60歳でお迎えが来たら『只今(ただいま)、留守』と言え」「古希 70歳でお迎えが来たら『まだまだ早い』と言え」「喜寿 77歳でお迎えが来たら『急ぐな老楽(おいらく)はこれから』と言え」…。どこかの介護施設で見た言葉だ。年齢ばかりを気にせず、いくつまで生きるかではなく、どう生きるかが肝心ということだろうか。(章)

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