ソニービルは側面にテレビ用ブラウン管をはめこみ、「ようこそ銀座へ」といった文字を浮かび上がらせた(撮影年不明)

開業の頃、ソニーのテレビが並んだソニービルのショールーム。「花びら構造」で少し上がった奥のフロアは服飾のショールームになっていた

■世界や未来への入り口 花びら構造で縦の銀ブラ

 東京・銀座の玄関口、数寄屋橋の交差点前に立つソニービル。半世紀、ショールームとして「トリニトロンカラーテレビ」や「ウォークマン」といった一世を風靡(ふうび)した新商品を次々と紹介してきたが、新ビル建設に向けて3月31日で営業を終了し、解体される。

 これまでを振り返り、未来を見据える展示会「It’s a Sony展」には「デートに利用した」「イベントをよく見に来た」と懐かしむ人々が多く訪れている。

 1966年に開業した頃、銀座はまだ都電が走っていた。当時の発表資料は銀座の玄関という「最高の立地条件」ゆえに普通のオフィスビルではなく、総合ショールームを建てると説明している。

 ビルにはさまざまな趣向が凝らされた。駒沢オリンピック公園の体育館を設計した建築家の故芦原義信さんが考案した「花びら構造」を採用。1フロアを「田」の字形に四つに分けて90センチずつずらし、1階から7階まで連続した空間にした。ビルを運営するソニー企業の菅原健一社長は「縦の“銀ブラ”のイメージでつくられた」と話す。

 エレベーターは当時日本最速。エレベーター棟の外側には2300個のテレビ用ブラウン管をはめ込み、電光で模様や文字を浮かび上がらせた。踏むとドレミの音階が鳴る階段も設置された。

 自動車、楽器、ファッション、化粧品…といった多様な業種のショールームやショップ、世界的な名店「マキシム・ド・パリ」など話題のレストランも入った。開業当時1日2万人以上が来場、「銀座の人の流れが変わった」と言われた。

 自身も学生の頃よく訪れたという菅原社長は「世界への入り口、未来への入り口だった」と語る。

   ◇   ◇

 最新のエレクトロニクス技術を並べ、銀座のシンボルとして人々を引きつけたソニービルの半世紀を振り返る。

このエントリーをはてなブックマークに追加