「ハーパース・ウィークリー」に掲載された岩倉使節団一行のイラスト。サンフランシスコで撮影された写真をもとにしたと記されている(武雄市歴史資料館蔵)

■山口率い米欧諸国を旅

 明治4(1871)年11月12日、快晴の横浜港を岩倉使節団が出航しました。使節団員46人、随従や留学生を合わせると総勢107人。誕生間もない明治政府が国の威信をかけ、先進米欧諸国への旅に送り出した大使節団です。彼らを率いたのが特命全権副使であった武雄出身の山口尚芳でした。

 太平洋横断の後、船は、日本の暦で12月6日にサンフランシスコ港に降錨(こうびょう)しました。西洋の暦(太陽暦)では1872年1月15日、ちょうど今の時期のことです。

 岩倉全権大使と4人(山口尚芳、木戸孝允、伊藤博文、大久保利通)の副使をサンフランシスコで撮影した写真は有名ですが、今回紹介する資料は、1872年3月16日のニューヨークの週刊誌「ハーパース・ウィークリー」に掲載されたワシントンに到着した一行を紹介したイラストです。大使、副使5人のほか、彼らが乗船したアメリカ号で帰国したデロング公使(前列足を組んだ人)、サンフランシスコの日本領事ブルック氏(後列)、通訳のリコ氏も描かれています。

 面白いのは、副使の山口がKido、木戸がOkubo、大久保がYamakuchiとなっていて、でたらめです。大使岩倉はもちろんでしょうが、伊藤は英語力に優れており、この2人は知られていたようです。

 使節団に加わり『米欧回覧実記』を記述した佐賀出身の久米邦武の言行録『久米博士九十年回顧録』には、ホテルでのエレベーターに驚いたこと、歓迎の音楽隊に真ん中で一人だけ棒を振って踊っている人間(指揮者)がいるのを皆がいぶかしく思ったことなどが記され、当時の日本人の異文化体験もうかがい知ることができます。(武雄市図書館・歴史資料館 川副義敦)

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