有田の成立期の染付磁器(小溝上窯跡)

 「歴史に学ぶ」という言葉を時々目にすることがある。ただ、「温故知新」など、すでに「論語」にあるなじみ深い言葉もあり、必ずしも新しい概念というわけではない。個人が自身の経験に学ぶように、人類がその経験たる歴史に学ぶことは、文明や文化を構築し発展させる上で、いつの時代にも欠くことのできないものなのである。

 有田で日本磁器の生産が始まった頃、すでに国内市場には、世界的なブランド力を持つ景徳鎮などの中国磁器が、多量に出回っていた。いわば巨大な独占企業に挑もうとする、零細なベンチャー企業が当時の有田の真の姿だったのだ。技術力も劣れば、ブランド力もなく、あるのは国内市場との距離の近さ、地の利くらいに過ぎない。

 もちろん、磁器のブランドとして育成を目指せば、陶工の持つ技術が朝鮮半島風であっても、最低限、当初から染付製品を基本とする中国風を模すことは必須であった。しかし、いきなり中国磁器の独占市場に飛び込んでも、物量戦に巻き込まれてしまい、軽く弾き飛ばされていたに違いない。そのため、陶器である唐津焼の流通に乗せることによって、従来、中国磁器が行き届かなかった場所や階層をターゲットとし、供給が需要を喚起する構図を確立したのだ。

 歴史を深く読み込めば、そこには今日の指針となるさまざまな知恵が、隠されているのである。(有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

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