第2回パリ万博に派遣された佐野常民が持ち帰ったとされる洋書と絵図の目録を手にする佐野常民記念館の山口智世学芸員=佐賀市川副町の同館

目録を繰ると、「軍艦」の文字が多数読み取れる

佐賀藩の遣仏使節団。前列右から時計回りに野中元右衛門、佐野常民、小出千之助、藤山文一、深川長右衛門(野中元右衛門『仏国行路記』より)

■軍艦購入の特命に奔走

 和紙に筆書きされた目録をめくると、ある軍艦の名前が目に飛び込んできた。<日進丸御軍艦之図三枚>。この船に載せる砲台の写真のことを指すのか、<右同鉄製砲台写真一枚>などと列記されている。

 1867(慶応3)年の第2回パリ万国博覧会に佐賀藩から派遣された佐野常民が持ち帰ったとされる洋書や絵図の目録。読み進めると、諸外国の軍事資料に強い関心を示していた様子に驚かされる。軍艦に武器、軍律書、兵糧の会計心得…。佐野は、華やかな万博での物産品の売り込みの陰で、蒸気機関を搭載した軍艦をオランダから買い付ける特命を帯びていた。

 欧米列強が植民地獲得に向け、アジア進出の動きを強めていた江戸末期。佐賀藩は、オランダを通じて西洋に開かれた港が唯一あった長崎で、福岡藩と1年交代で警備を務めていたが、オランダ船に偽装した英国船の侵入を許したフェートン号事件(1808、文化5年)で処分を受ける。

 佐賀藩は警備強化を進めたが、54年の日米和親条約で鎖国が解け長崎警備の重要性が薄らぐと、洋式銃砲の導入など自藩の軍備強化にかじを切る。さまざまな軍艦の購入も進める中での佐野らの西欧派遣だった。

 佐賀藩の歴史に詳しい武雄市図書館・歴史資料館の川副義敦学芸員(62)は推し量る。「長崎の警備強化に向けた新砲台建設と洋式大砲鋳造が、藩主鍋島直正による2大軍事プロジェクト。軍の西洋化も進め、最後に残ったのが、軍隊や武器を同時に大量輸送するための海軍の整備だった」

 佐野はパリに渡航する前から、長崎在住のオランダ領事と軍艦の性能を話し合うなど入念に準備を進めていた。万博開幕から4カ月がすぎた8月には、物産販売を小出千之助と深川長右衛門に託し、鉄路でオランダに向かった。交渉先では、長崎海軍伝習所時代のオランダ人の知人の協力を得たものの、予想を上回る代金に戸惑うことになる。

 難航する交渉に粘り強く臨んだ佐野。突き動かされた動機の一つに、パリで非業の死を遂げた仲間の存在があったかもしれない。

 万博で物産品の販売を担当するはずだった野中元右衛門が、会場にたどり着く前に病死していた。

 野中は健康面に不安があり、家族は渡航に反対した。それでも「フランスは『仏国』と言うから、かの地で仏になれば極楽浄土も近かろう」と笑って引き受けたという。パリの墓地に葬られた野中をしのび、佐野は後年、佐賀市にある野中の碑に一文を残している。「志業未だ半ばならずして命を天涯に殞(のこ)す。魂返らざるも美名長く垂れん」

 製薬業の烏犀圓(うさいえん)本舗の主人だった野中の子孫に当たる野中源一郎さん(71)=佐賀市=は「パリを訪れて墓参りをするたび、こんな地球の裏側に眠り、さぞ無念だったろうと涙が出てくる」と思いをはせる。

 佐野が持ち帰ったとされるくだんの目録には、軍事にとどまらない資料のタイトルが列記されている。政治や経済に加え、薬類の資料、パリの名所や英国テムズ川のトンネルの図、工業学校の法則書…。幅広い分野に関心を寄せていた様子が伝わってくる。

 分析した小城市立歴史資料館の近藤晋一郎学芸員(49)は「万博と海外渡航が与えたインパクトの大きさがよく分かる。『自らの経験を藩のために生かしたい』。そんな願いがにじみ出ている」と感じ入る。

 佐野が難交渉をまとめ、進水にこぎつけた日進丸が長崎に入港したのは、既に元号が変わった1870(明治3)年のことだった。

■近代化いつから?

 「幕末」とは、いつからを指すのか。1853(嘉永6)年のペリーの浦賀来航を始まりとする考え方が一般的だが、佐賀藩の近代化の起点になった出来事は何だろう。この点については、研究者の見解が分かれる。

 1808(文化5)年、英国軍艦が長崎港に侵入するフェートン号事件が起きた。警備を怠ったとして佐賀藩が処分を受けたこの事件を、幕末佐賀の「黒船」と見なす人は多い。

 ただ、佐賀城本丸歴史館の浦川和也企画学芸課長は「鍋島直正が藩主になった1830(天保元)年が起点」と主張する。フェートン号事件は直正が生まれる前の出来事で、藩の近代化が本格化するのは事件から20年余り後になるからだ。

 これに対し、鍋島報效会評議員の大園隆二郎さんは「藩士の切腹につながったインパクトは大きく、二度と長崎警備を失敗できないという危機感は近代化の原動力になった」と事件が与えた影響を重くみる。

 佐賀藩が出展した第2回パリ万博は幕末のさらに末期、明治改元の前年に開かれた。

1808(文化5)  フェートン号事件

1830(天保元)  鍋島直正が佐賀藩主就任

1840(天保11) アヘン戦争始まる

1853(嘉永6)  ペリー浦賀来航

           プチャーチン長崎来航

1854(嘉永7)  日米和親条約締結

1867(慶応3)  第2回パリ万国博覧会

1868(明治元)  明治に改元

このエントリーをはてなブックマークに追加