三国連太郎や高倉健ら俳優への取材から見えた、映画人としての姿勢や業界を超えた至言を紹介する立花珠樹氏=佐賀市のホテルニューオータニ佐賀

県環境科学検査協会専務理事 福岡正輔さん

■共同通信社編集委員の立花珠樹氏

 佐賀新聞社主催の佐賀政経懇話会2月例会で、共同通信社編集委員の立花珠樹氏が「戦後日本映画の名優たち」と題して講演した。記者時代の取材経験をもとに、邦画黄金期の俳優たちの映画に対する姿勢や、一仕事人としての至言を紹介。「映画を通して作り手たちと“出会う”なかで、いろんなことを感じることができる」と映画鑑賞を呼び掛けた。講演要旨を紹介する。

■仕事人の生き方、至言に

 私が映画記者だった90年代は、洋画人気に押されて邦画が苦戦した時代。ただ幸運だったのは、戦後日本映画の黄金期を支えた巨匠たちがまだ業界に残り、最後の仕事をしていた時期だった。一時は現場を離れたが、管理職を終えて自分のやるべきことを探した時、「記者時代に出会った監督や俳優らにインタビューして、日本映画の成り立ちを伝えられないか」と思い、連載企画「私の十本」を始めた。

 この仕事をして気付くのは、どの世界でも同じだが、素晴らしい仕事をした人は自らを語る時に素晴らしい言葉を持っているということ。映画の世界だけにとどめておくにはもったいない、生き方に絡む言葉がたくさん出てくる。

 三国連太郎(1923~2013)を例に取ると、新人発掘オーディションを経て51年にデビューし、二枚目俳優として活躍していた三国は「異母兄弟」(57年)で権威を振りかざす父親役を演じ、転機を迎える。この役作りのために抜歯したことで知られるが、同作についてのインタビューで「やるだけのことをやったか」と聞かれ、「(後妻役の)田中(絹代)先生と一緒だから。一人ではできないんですよ」と答えた。三国ほどの役者でも、一人では演技はできない。私たちの普段の仕事においてもそうではないか。

 三国は「飢餓海峡」(65年)の悪人役をピークに、さまざまな役を演じるようになる。ところが晩年は「釣りバカ日誌」シリーズで印象ががらりと変わる。初めて彼と会ったのはそのころで、とても優しい人だった。三国という人は、自分自身の生き方と重なるように役へのめり込み、役になり切って生きてきた。スーさんを演じるなかで、三国自身が優しいスーさんになっていったのだろう。

 高倉健(1931~2014)の最後の主演作「あなたへ」(12年)の公開に際してインタビューし、若い世代へのメッセージを求めると、あれほど強く見える人でも「人間は負けることもある」と言った。少し沈黙した後、「負けないぞと思いながらやっていけばいい人に出会える。人との出会いが財産だと思いますよ」と、自分の中から言葉を出していた。

 映画評論家の淀川長治さん(1909~1998)は、あれほど数多くの映画を見てきても、いつも新作の試写室にいた。「映画には今が映っている」のだと言う。映画の中には今という時代があり、そして映画を作る人間と(映画を通して)出会っている。今、作られているものを常に見ることで、そこからいろんなものを感じ、つながっていくことができるのではないか。

■講演を聞いて 県環境科学検査協会専務理事 福岡正輔さん

 「素晴らしい仕事をした人は素晴らしい言葉を持つ」というのはまさしくその通りで、業界の違いにかかわらず、培ってきたものはにじみ出るものだと思う。古い映画はあまり鑑賞したことがないが、三国連太郎さんが歯を抜いて挑んだという「異母兄弟」のエピソードには心引かれた。その意気込みを、映画で実際に見てみたい。

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