晩年65歳の小笠原長行の肖像写真(写真提供・唐津市)

■もっと脚光を

 最近のNHK大河ドラマに、幕末・明治維新をテーマとしたものが幾つかある。「花燃ゆ」「八重の桜」「竜馬伝」「篤姫」「新撰組!」である。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」との名言があるが、激動期の維新前後を現在に重ね合わせるという意図によるものだろう。

 この5作品のうち3作品は幕府側の視点から描かれている。しかし幕府に多くの貢献をしたにもかかわらず、ほとんど画面に登場してこない老中がいる。小笠原壱岐守長行(ながみち)公である。

 長行は文政5(1822)年、唐津藩主小笠原長昌(ながまさ)の長子として唐津城二の丸に生まれたが、翌年父が逝去。幼少だったため庶子として扱われる。が、聡明だったため16歳の時に江戸で儒学を学び、その後、最後の唐津藩主小笠原長国の養嗣子(ようしし)(家督相続者)となり、藩政にも携わった。

 文久2(1862)年、幕府に乞われて幕閣となるが、翌年起こった生麦事件の後始末の不手際のため罷免。しかしすぐに老中に復帰する。慶応2(1866)年の第2次長州征伐では小倉口の総督として指揮を執り、慶応4年の戊辰戦争では箱館まで転戦するが敗退。その後新政府に赦免され、晩年には従四位に叙任された。

 長行は近代日本の黎明期(れいめいき)に多くの人材を輩出した唐津藩の英語学校「耐恒寮」の礎を築いた。ちなみに建築家の曾禰達蔵は長行の元小姓である。

 佐賀県は来年3月から19年1月まで、幕末・維新期の佐賀の偉人や偉業を顕彰する「肥前さが幕末維新博覧会」を開催する。詳細は企画中とのことだが、長行公にも脚光が当たるような内容を期待する。

 たなか・まこと フリーの編集者で、民俗学、歴史を中心に編集・執筆活動を行う。1954年生まれ。唐津市桜馬場。

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