国が丁寧に調べることを躊躇(ちゅうちょ)したら人権はどうなるのか。1990年の足利・女児殺害事件を通じて考えさせるのが『殺人犯はそこにいる』(清水潔著)だ。テレビ局記者が真犯人は別にいると、DNA型の再鑑定を求める報道を粘り強く続けた。その結果、無期懲役判決の男性と犯行現場に残っていたものが違うという鑑定ミスが判明した◆当時実績のないDNA型鑑定が警察庁主導で導入された経緯がある。捜査機関は再鑑定を拒否し続けたが、間違ったプライドのために無実の男性は17年も刑務所で拘束された◆すぐに調べるべきなのに、と同じような歯がゆさを感じるのが諫早湾干拓問題だ。有明海異変の原因はギロチンと呼ばれた潮受け堤防か否か。裁判所が最初に開門調査の必要性に言及した時に司法担当だったが、もう12年になる◆国ができない理由を並べるうちに干拓事業は完了した。しかも、有明海再生事業の停止をちらつかせ、漁業者に開門調査断念を求めている。誰のせいで問題が長引いたのか自覚はあるのか◆足利事件で記者の取材は無実の証明で終わらない。連続殺人事件の可能性が高く、真犯人が野放しであると危惧するからだ。真相から目を背けたら、より大きな問題が残る。巨大公共事業を守るために開門調査を避け続けるのなら、宝の海はずっと救われない。(日)

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