阪神・淡路大震災からきょうで22年を迎えた。観測史上初めてとなる「震度7」が襲い、死者6434人、行方不明3人、住宅被害は64万棟にのぼった。

 発生は早朝の午前5時46分。まだ眠っている人が多い時間帯だったため、8割近くは建物の下敷きになる「窒息・圧死」で亡くなった。命を守るはずの住宅が、凶器にもなりうるという現実。いかに住宅の耐震性を高めるかという課題が浮き彫りになり、この年の12月には「耐震改修促進法」が成立している。

 全国各地からボランティアが駆けつけた「ボランティア元年」でもあった。復興の大きな原動力になったが、当時はボランティアを受け入れる側のノウハウが整っておらず、組織運営の混乱なども目立った。現在では被災者のニーズとボランティアを結びつける仕組みはすっかり定着し、昨年4月の熊本地震でもボランティアがさまざまな場面で活躍している。

 また、行政の支援の在り方も、当時とは様変わりした。阪神大震災では支援の遅れが指摘されたが、こうした教訓から熊本地震では地元の要請を受けてから動き出すのではなく、自治体からの情報を待たずに必要な品目や量を推測して物資を届ける「プッシュ型」の支援が採用された。

 20年以上がたった今、被災地でも震災を経験していない世代が増えた。最も被害がひどかった神戸市でも、今では震災経験がない世代が4割を超えたという。

 震災の教訓を次の世代にどう伝えていくか。復興が進んだ神戸市の街を歩いていると、震災の記憶をとどめている場所に突き当たる。例えば、神戸港の「震災メモリアルパーク」。震災当時そのままに崩れた港湾施設が数十メートルに渡って残されている。その場に立つと、どれほど大きな地震のエネルギーがこの地を襲ったのか、実感できる。

 こうした「震災遺構」に加えて、震災当時のこまごまとした資料を集める試みが始まったのもまた、阪神大震災だった。

 大震災の年の10月には、神戸大学が「震災文庫」を設けている。捨てられてしまう避難所の張り紙や、地元のスーパーマーケットの営業再開を知らせるチラシなどまで、さまざまな資料を系統立てて保管している。

 この震災文庫の精神は、東日本大震災へも引き継がれ、仙台市民図書館が「3・11震災文庫」として資料を収蔵している。熊本地震でも、図書館司書らが資料の収集を進めているという。

 阪神大震災当時、兵庫県知事は武雄市出身の貝原俊民さん(1933~2014年)だった。復旧・復興の陣頭指揮に当たり、犠牲者の鎮魂と復興を願う光の祭典「神戸ルミナリエ」にも力を尽くし、退任後も防災の普及に取り組み続けた。

 東日本大震災の時、貝原さんは「復興の原動力は何よりも故郷を愛し、家族を信じる心。燃えるような思いで取り組めば不可能ではない」と語っていた。これは被災地へ向けた言葉だったが、震災に備える私たちへのエールとしても受け止めたい。

 故郷を愛し、家族を信じ、震災の教訓を次の世代へと引き継ぐ。今を生きる私たちの責務である。(古賀史生)

このエントリーをはてなブックマークに追加