老婆が敵将目がけて投げつけたとされる石臼

■ビクトリーストーン伝説

 角界ではモンゴル出身の力士が何かと話題になっているが、今から約740年前、彼らの祖国の英雄チンギスハンは騎馬民族という機動力を生かし、かのアレキサンダー大王ですら成し遂げ得なかったアジア大陸の広大な領土を獲得した。その国名を「元」と言った。

 そして孫のフビライハンはマルコポーロが『東方見聞録』で紹介した「黄金の国ジパング」を占領の視野に入れた。そして高麗の船団を従え2度にわたり日本に攻め込んだのが文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)、いわゆる元寇である。

 元寇については肥後国の御家人である竹崎季長(すえなが)が鎌倉幕府に対して、自らの業績を誇示するために絵師に描かせた「蒙古襲来絵詞(えことば)」(宮内庁蔵)に詳しい。これによると、蒙古軍は対馬・壱岐を経て博多に上陸し、し烈な戦闘が繰り広げられたことがよく分かる。

 しかし蒙古軍は博多だけを攻撃したのではない。肥前国の馬渡島や伊万里湾にも船団を向けていたのである。歴史書は馬渡島に残る当時の話を次のように伝えている。

 「文永の役で馬渡島も元軍の侵攻を受けた時、島の南西にある城山に主将馬渡美濃八郎為俊以下島民全員が元軍を撃退したが、とうとう元軍に追い詰められ、島民は矢も小石も尽き果ててしまった。しかし馬渡島の一老婆が山に登ってくる敵の将校目がけて『石も石この石ひとつ』と叫びながら投げつけ、元軍を撤退させた」というビクトリーストーン伝説が伝えられている。これも大切な地域の宝である。

 田中誠(たなか・まこと) フリーの編集者で、民俗学、歴史を中心に編集・執筆活動を行う。1954年生まれ。唐津市桜馬場。

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