高齢者とは何歳からの人をいうのだろう。最近は身体や知的能力が大幅に若返っているとし、「65歳」から「75歳」以上に引き上げるべきという提言が出ている。今後の少子高齢化を考えれば、その能力は積極的に生かすべきで、生涯現役が社会のあるべき姿かもしれない。一方で、社会保障制度の安易な見直しとならないように注意する必要もある。

 日本人の平均寿命は83・7歳で、20年以上連続で長寿世界一だ。日本老年学会などが実施した調査では慢性疾患の受診率が低下し、生物学的に5~10歳若返っているという。知能検査でも一番の高得点が40代から50~60代に移った。同学会は75歳以上を「高齢者」、65~74歳を「准高齢者」と呼ぶようにと提言している。

 笑福亭鶴瓶に大杉漣、柴田恭兵。彼らはみな、現在65歳の俳優やタレントだ。テレビでの活躍を見れば、彼らが「高齢者」という枠組みに入るのは違和感がある。

 周囲を見てもそうで、顕著なところだと農業だ。後継者難が背景にあるとはいえ、主力は60~70代だ。この年代抜きに日本の農業は成り立たない。体力、知力、気力のいずれも65歳という年齢はまだまだ現役と呼ぶべきだろう。

 そういう人たちの力を最大限に引き出そうという政策的な提言が、安倍首相が唱える「1億総活躍社会」なのだろう。

 人口減少時代を迎え、労働力不足が表面化している。世界が経験したことのない少子高齢化社会に突き進むこの国の未来を考えれば、意欲ある人が何歳になっても働くことができ、地域貢献できる社会を目指さなければ、持続的な発展は望めない。

 ただ、それは本人たちの自由な意思に基づくべきだ。健康は個人差が大きく、同じような貢献は求められない。高齢者の年齢を引き上げる議論が、社会保障制度の一律的な見直しへと飛躍することがあってはならない。

 もちろん、年金や医療、介護など社会保障制度を維持するのは容易ではない。2010年時点で、人口に65歳以上が占める割合の高齢化率は23%だが、今後の人口推計では、50年後の2060年に40%近くまで上昇するという。現役世代1人が高齢者1人を支える時代がやがて来る。

 政治の側からも、小泉進次郎氏ら自民党若手が社会保障制度がこのままだと財政がもたないとし、「65歳から高齢者」という定義を見直し、定年制廃止を提言している。「原則65歳」からとする公的年金の受給開始年齢を引き上げる議論も将来、出てくるだろう。

 しかし、今は「高齢者65歳以上」でさえ、社会が十分に対応できていない。定年の年齢引き上げに取り組む企業もあるが、ほとんどが60歳までで、給与が少ない嘱託の身分での再雇用が多い。老後の貧困が問題になっており、社会保障費を削減する改革だけを先行することがあってはならない。

 「老」には長く生き、経験と知識を積み上げた人という意味が含まれる。また、老後とは仕事や子育ての責任が終わり、人生の集大成のために振り返る時間でもある。少子高齢化する社会を維持するには、その労働力に期待せざるを得ないのだろうが、人生最後の大事な時間を削ることがないような配慮もしたい。(日高勉)

このエントリーをはてなブックマークに追加