「多良海道」と書かれたくいを打ち込んだ関係者たち=鹿島市浜町

 長崎街道の脇街道「多良海道」を広く知ってもらおうと、鹿島市内の有志が、同海道沿いの一定区間に道しるべや看板を設置した。地域資源の再発見やウオーキングイベントへの活用を期待する。

 江戸時代にできた多良海道は、鹿島市から太良町、長崎県諫早市へとつながっており、ほとんどが山道。庶民や佐賀藩主らが利用したほか、多久生まれで江戸後期に活躍した儒学者の草場佩川も通ったとされる。

 道しるべの設置は、鹿島市生涯学習センター「エイブル」を管理運営する一般財団法人と七浦地区振興会が企画した。エイブルの永池守館長(62)や七浦地区の住民らが11日、市内の浜から矢答まで計10カ所に「多良海道」と書かれたくいを打ち込み、休憩場所となっていた矢答など2カ所には看板も立てた。

 多良海道の存在が徐々に忘れられる中、地元住民にも喜んでもらえたという。永池館長は「ウオーキングのコースなどに活用し、歴史を感じてもらいたい」と話した。

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