昇開橋をバックに立つ徐福像は、友好の証しとして慈渓市から贈られてきた=佐賀市諸富町

徐福長寿館には、慈渓市に贈った「お辰観音像」の陶板画と同じものが飾られている=佐賀市金立町

■具体的な伝承佐賀に豊富

 佐賀市と中国浙江省慈渓市は、徐福を通じて日中友好を続けている。

 秦の始皇帝から不老不死の仙薬を探すように命令を受けた徐福が、紀元前210年に東の方に向かい出港したことは、史実として確認されている。日本に渡った徐福は帰国せずとどまったとされ、全国各地に伝承が残る。特に佐賀には豊富に具体的に残っている。

 徐福と恋仲になった金立のお辰は、徐福と別れ、悲しみのあまり病になり亡くなる。そのお辰をモデルにした「お辰観音像」の陶板画(草場一壽さん作)が、佐賀市から日本への出港地である慈渓市に送られ、同市の「徐福文化園」に飾られている。同じ陶板画が佐賀市金立町の徐福長寿館の壁にも飾られている。

 徐福が上陸したと伝えられる佐賀市諸富町の浮盃の近くには、昇開橋をバックに白御影石の徐福像(3・5メートル)が、空に突き抜けるような姿で金立を向いて立っている。

 陶板画のお礼として、慈渓市が徐福東渡2222年記念の2012年、徐福文化園にある像と同じものを贈り、佐賀市が調達した台座の上に乗せられた。互いの都市に同じものがあり、お辰と徐福のロマンは、今も続いているようだ。

(地域リポーター・上原和恵=佐賀市)

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