じょうご谷造りの島田家=佐賀市川副町

 米納津は川副町南里、本庄町上飯盛と小城市芦刈町下古賀などを結ぶ、今から1300年前ごろの海岸線にあたり、この地域の開墾から開拓へ移行する地区で、米納津の名はかつて河港であったことによると思われます。この付近は有明海の干潟を陸化させ進展していった土地で、その開発は容易でなかったようです。

 建武年間(1334~1338年)の大和町春日山高城寺文書に「高城寺領米津土居外干潟荒野壱所」と記されています。貞和年間(1345~1350年)のころから、徐々に新田開発が進み、中世末期には米納津は南里とともに高城寺の寺領であったようです。

 島田家はじょうご谷造りの民家で有明海沿岸では台風が接近すると何一つ遮るものがなく、終始強い風にさらされることが多く、屋根を低く抑えることによって風の抵抗をできるだけ受けないように家を被害から守ることが必要です。じょうご谷は四方に棟を寄せ合っていることから比較的風に強い構造になっています。これも先人が考えた最も風土に適した造りといえます。

 近年はほとんど、じょうご造りの民家が失われていく中で貴重な歴史遺産を後世に伝えてくれます。(北原学)

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