佐賀と諫早を結ぶ海上交通の要衝、竹崎島から望む有明海。中央の小高い丘には現在の夜灯鼻灯台の先端が見える=藤津郡太良町

夜灯鼻灯台を建設した早田家の子孫に当たる早田ハツさん。先祖の思いを推し量った=長崎県諫早市

シーボルト台風通過経路

■被害甚大、財政難に追い打ち

 異変は、日付が変わる夜中に起きた。

 <今夜九ッ時(午前0時)比(ごろ)より不意の大風雨>

 佐賀藩の重臣だった諫早家の文書「日新記」。文政11(1828)年8月9日の記述を読むと、佐賀城内にあった諫早屋敷は<大破損>するほどの暴風雨に襲われた。

 翌10日の記録は城下の混乱ぶりを伝えている。

 「多数の家が倒れている。けが人や死人が出て、前代未聞の大変なことになっている」

 未曽有の被害を及ぼした「子年(ねのとし)の大風」。長崎出島のドイツ人医師シーボルトの船がこの暴風雨で座礁し、日本地図の国外持ち出しが発覚したことから「シーボルト台風」と呼ばれる。

 現代の分析では、中心付近の気圧は935ヘクトパスカル、最大風速は55メートル前後だったと推定されている。有田から佐賀を通り、久留米方面に抜けるなど佐賀藩を横断。満潮時刻と重なったため、高潮が低平地を襲った。

 鍋島直正が10代藩主に就く2年前の天災で、直正の教育係だった古賀穀堂は日記「清風楼記聞」に、藩が幕府に報告した被害状況を列挙している。

 「水没、塩害など田畑の被害1万9144町8反」

 「寺社を含む家屋の全壊3万5364軒、半壊2万1057軒」

 「けが人1万1373人、死者1万317人」

 規模の大小はあるものの、風水害や日照りは数年おきに佐賀藩を襲っていた。シーボルト台風は現代の基準で「猛烈な台風」に分類され、質素な造りの木の家屋はひとたまりもなかった。当時の主流だった藁(わら)やかやぶきの屋根は風に弱かった。

 被害は佐賀城下だけでなく、各地に広がっていた。諫早家の領地だった藤津郡太良町中畑の正恩寺に残る過去帳は生々しく伝える。

 <8月9日夜大風、天地振動、神社仏閣貴賤(きせん)屋宅悉吹倒(ことごとくふきたおれ) 或(あるいは)火災 或水災 前代未聞 当寺門倒 茶堂本堂大破 大風による死者 中畑2人>

 正恩寺に近い竹崎島では夜灯鼻灯台が倒壊した。

 灯台は寛延年間(1748~50年)に、諫早家の重臣だった早田番左衛門が建てた。番左衛門から9代目の子孫に当たる早田ハツさん(79)=長崎県諌早市=は「建設の詳しい経緯は伝わっていないけれど、近くに早田家の領地があり、そこの漁民の安全を守りたかったのでは」と推測する。

 付近は船の往来が多い要衝だったが、暗礁が広がり、夜の航行は非常に危険だった。灯台は漁家や商人に恩恵を与えていたが、台風に耐えきれなかった。

 番左衛門の子孫の市右衛門が明治2(1869)年に再建するまで、この海域は約40年にわたって道しるべがない状態が続いた。現地の海況に詳しい元船長の岡利美さん(80)=太良町=は推し量る。「慣れた人でも夜は避けたい場所。灯台がなく真っ暗では、本当に不便だっただろう」

 重要な灯台が長らく再建できなかった理由は、佐賀藩の財政の厳しさとも無関係ではなさそうだ。被災した当時は9代藩主鍋島斉直(なりなお)の治世で、台風は財政難に追い打ちをかけた。減少傾向にあった借銀高が増加に転じており、徴古館(佐賀市)の主任学芸員富田紘次さん(36)は「恐らく、復旧や復興に多額の資金が捻出された」とみている。

 藩の備蓄米の量は、平時の半分の5万8500石まで急減した。米の不作は藩財政の悪化に直結し、深刻な影響を及ぼしていく。

 台風から2年後、江戸から戻り、藩主に就任したばかりの17歳の直正は、現在の佐賀市川副町にある正定寺に墓参した折、農家の家々に台風禍が色濃く残る状況を目の当たりにする。直正の生涯を記録した「直正公譜」には、領民の境遇を案じる言葉が残る。「わずかな道すがらでもこれだけの被害がある。領内全域では大変な被害だろう」。脳裏に焼き付いた荒れ果てた光景は、財政改革の動機となる原風景になっていく。

■死者数、伊勢湾の2倍超

 子年の大風(シーボルト台風)は、九州や中国地方など西日本を中心に広く爪痕を残した。大村藩や久留米藩など九州北部の死者数は1万9000人を超え、北陸や東北にも被害記録が残る。中でも被害が最大だったのが、死者が1万人を超えた佐賀藩だ。

 佐賀地方気象台にも勤務経験がある小西達男さんは2010年、日本気象学会の機関誌『天気』に寄せた論文で指摘した。

 「死者数は伊勢湾台風(1959年)の2倍を超え、記録に残っている日本の風水害史上で最大であり、自然災害の範疇(はんちゅう)に広げても非常に大きな災害の一つに数えられる」

 猛烈な台風は有明海で最大4.5メートルという深刻な高潮被害ももたらした。気象学者の高橋浩一郎さんは1962年に同じく『天気』に寄せた論文で、「過去300年で最も強い台風」と考察している。

=年表=

1748~50(寛延年間) 早田番左衛門が夜灯鼻灯台を建設

1828(文政11) 子年の大風で西日本各地に甚大な被害

1830(天保元) 鍋島直正が10代佐賀藩主に就任

1869(明治2) 番左衛門の子孫・市右衛門が灯台を再建

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