幕末維新期の佐賀について、さまざまな観点から議論したシンポジウム=佐賀市のアバンセ

作家の林真理子さん

 2018年に明治改元から150年を迎えるのを前に、幕末維新期の佐賀に光を当てる記念シンポジウム「幕末維新さがのチカラ」(佐賀県主催)が12日、佐賀市のアバンセで開かれた。映画「武士の家計簿」や「殿、利息でござる!」の原作になった著書で知られる歴史学者、磯田道史さんが、佐賀藩の10代藩主鍋島直正が手掛けたさまざまな改革を解説。山口祥義知事を含めた登壇者6人で、日本の近代化に貢献した佐賀藩の軌跡をたどり、現代社会や未来への道しるべになる手掛かりを探った。発言要旨を採録する。コーディネーターは佐賀新聞社の中尾清一郎社長。

=登壇者の略歴=

笆ェ・処體c道史さん いそだ・みちふみ 静岡文化芸術大教授を経て、2016年から国際日本文化研究センター准教授。著書に『武士の家計簿』など。

笆ェ・初ェ田晃さん おかだ・あきら 日本経済新聞社で編集委員などを務め、テレビ東京アメリカ社長など歴任。2006年に経済評論家として独立。

笆ェ・署A松三十里さん うえまつ・みどり 婦人画報社勤務などを経て、フリーのライターに。新田次郎文学賞、中山義秀文学賞など受領歴多数。

笆ェ・助x田 紘次さん とみた・こうじ 鍋島報效会・徴古館主任学芸員。鍋島家の伝来品を分析し佐賀藩などを研究。著書に『一八世紀における佐賀藩の長崎警備』。

 中尾 明治維新150年に向けて、過去の栄光を捉えるだけでは駄目で、歴史の教訓を未来に生かすことが大切だ。教訓を得るシンポジウムにしたい。

 岡田 明治維新は薩摩や長州が主役とされがちだが、実際は薩長より佐賀が先行している。佐賀の近代化の取り組みや成果を薩長が学んでいる。佐賀には先見性があった。このことが後の日本経済に大きな影響を与え、現在の経済をどうやって元気にしていくかを考える上でも参考になる。

 富田 徴古館にある史料は鍋島家が所蔵していたもので、「佐賀の地で活用してほしい」と、平成になってから国宝や重要文化財を含めて全て無償で寄付してもらった。幕末の史料では直正公の直筆の手紙などがあり、考えていたことが見えてくる。磯田さんらから他藩との比較や全国の中での佐賀藩の位置づけを聞きながら、私は佐賀に残る史料に基づいて話したい。

 中尾 植松さんは「九州さが大衆文学賞」の初期の入賞者で、『黒鉄の志士たち』という佐賀を扱った小説も執筆された。

 植松 入賞したのが15年前。その時に初めて佐賀を訪れ、反射炉のことを知って「幕末の佐賀が面白い」と思った。小説にしたかったけれど、難しい題材だったこともあり10年ほど手を着けられず、ようやく『黒鉄の志士たち』を出版した。その取材をするころから佐賀をよく訪れるようになった。明治をリードした「薩長土肥」という枠組みは、佐賀藩が加わったことで初めて成り立ったと思っている。明治維新の鍵を握っていたのは佐賀藩。その事実を全国に広めたい。

 中尾 「佐賀には何もない」という言葉に違和感を覚えるという山口知事。どんな取り組みを温めているのか。

 山口 佐賀の人はなぜか県外で成功しているケースが多い。思い起こせば閑叟(かんそう)公(直正公)の弟子たちもそうだ。大隈重信、島義勇、江藤新平、大木喬任(たかとう)など一生懸命に国のことを考えているが、ほとんど佐賀を顧みていなかったように映る。国家の中心に佐賀の人がいたということなので、それはそれでいいと思っているが、「もう少し佐賀のことをやろう」という思いが私のテーマ。これからの時代、人材が佐賀県から出ていってもいいが、いずれは郷土に戻り、花を咲かせることができるシステムができないかと考えている。

 中尾 幕末維新期の佐賀藩は直正公の存在感がすごい。2手先、3手先を読む先見性がある一方、先が見えすぎていて同時代の人に理解されない面もある。

 磯田 閑叟公自身が書いた書簡などから読み解くと、西洋の導入は、それ自体が目的でなく「方便」でやっているにすぎないように見て取れる。道徳は東洋が優れていると思っているが、西洋技術を導入しないと生き残っていけないから仕方なく取り組んだようだ。西洋の列強から植民地化されないために、最新の銃などをそろえる必要があることを理解していた。

 中尾 閑叟公の自筆の手紙などから伝わってくる人間性や意外な一面は?

 富田 築地反射炉の建設前、直正公が読んだ漢詩がある。「外国の技術をまねするばかりでなく、日本の精神風土を海外に広めていきたい。そのために蒸気船が必要だ」という内容だ。直正公にとって、大砲や蒸気船を造ることはゴールではなく、手段だった。直正公は西洋を歓迎しているわけではなく、非常に強い攘夷論を持っていた。外国の脅威への現実的な対抗手段としての西洋化と、守るべき古来のものが同居する人物だった。

 中尾 幕末の名君の経済政策で、現代に通じるものは?

 岡田 鍋島直正の藩政改革は三つにまとめられる。一つは「財政再建」。徹底した歳出削減や人事制度改革で立て直した。二つ目は「軍備増強と西洋技術導入」。西洋の列強が大国になった背景に、反射炉や蒸気機関の開発にとどまらず、産業革命が横たわっていたことを見抜いていた。また、エネルギー源として石炭にも着目し、炭鉱開発を進めた。三つ目は「人材教育」。多数の藩士を国内や海外に留学させている。日本の製鉄、石炭、造船の基礎をつくったのが佐賀。ペリー来航以前から取り組み、先見性が素晴らしい。

 中尾 佐賀の人は反射炉の技術をたった1冊のオランダ語の参考書から学んだと聞いている。

 植松 反射炉開発のスタートが1冊の本だったことは事実。佐賀藩は日本古来の技術も生かしており、プロジェクトチームには刀鍛冶や鋳物(いもの)師、石垣職人らが入っている。反射炉を幕末の日本人だけで成功させたことは、今の日本人にも勇気を与えると思う。直正公はリーダーシップがあり、フットワークも軽い。こういったスピード感が成功した要因だと思う。

 中尾 反射炉を造るには良質のれんがが必要。耐火れんがは焼き物の技術が応用されたと思う。

 岡田 反射炉の壁のれんがには、焼き物の技術が生かされていた。佐賀には有田焼があり、焼き物の技術者がたくさんいた。佐賀藩は単に西洋の技術をまねたのではなく、昔から日本で培われてきた技術と融合させた。例えば、世界で主流だった石組みのドックに対し、三重津海軍所のドックは木組み。在来型の技術をうまく活用したケースだろう。最先端技術と在来の技術と結びつけることが、藩の地力の向上につながったと思う。日本の近代化の一つの大きな特徴だ。

 磯田 日本で最初に佐賀藩で反射炉が開発できたのは、陶磁器の技術を持っていたことが大きい。反射炉造りで難しいのは、熱と炎を反射させる天井のカーブ。ペリーが来る前にこれを成し遂げたのはすごい。

 中尾 「佐賀の七賢人」や「八賢人」といわれているが、閑叟公以外の幕末佐賀人の面白さを教えてほしい。

 磯田 佐野常民は面白い。博覧会や赤十字など、後世にも役立つことを最初にやったのは立派だ。一方で、「偉いな」という思いと「困ったな」という思いがあり、自分の中で評価が分かれるのが江藤新平。彼は法治国家をつくろうとするが、ああいう乱(佐賀の乱、佐賀戦争)を起こし、大久保利通に超法規的に処罰された。まっしぐらな佐賀人が気をつけないといけない部分だと思う。こよなく尊敬するのは副島種臣。漢文や書は本当にすごい。

 中尾 山口知事は来年の幕末維新の博覧会でどんなことに取り組みたいのか。イメージを話してもらい、登壇者からアドバイスをもらいたい。

 山口 閑叟公はずっと江戸にいて、佐賀の町をよく知らないままに帰ってきた。部下のことさえよく知らない中、いろんな人に話を聞き、オランダ船にまで乗って、藩をどう導こうかと考えたに違いない。私も東京生活が長かった点は閑叟公と同じで、佐賀から世界基準の本質的な価値をつくっていきたいと思っている。県民一人一人の力、「佐賀力」をつくることで成し遂げたいと思う。

 磯田 佐賀をモデルにして、「鉄は国家なり」といわれるほど重工業重視の時代が日本にもたらされた。今後は、新しい佐賀モデルの発信を提案したい。観光やコンテンツ産業で、これまでと異なるモデルを佐賀から発信することが大事だ。佐賀をPRするような県民運動も大切だと思う。

 植松 以前、佐賀県内の会社が手掛けている世界一小さい歯車を見せてもらい、「佐賀はすごい」と思った。そういうことができる県だと自信を持ってほしい。幕末に閑叟公が活躍するまでは、佐賀藩のイメージは決していいものではなかった。その悔しさをばねに技術立国として成功した面があると思う。佐賀の歴史に誇りを持ち、そこからスタートしてもらいたい。

 富田 直正公は藩主就任で佐賀に住むようになって、いろいろと苦労した。バリバリと仕事をしようとしたが、重臣の反感を買い、抵抗に遭った。その後、直正公は「家臣と一緒にやっていこう」とスタンスを変え、「オール佐賀」を目指した。直正公がまとめ上げ、幕末の海原に出た「オール佐賀藩」は魅力的。維新150年でも「オール佐賀」で進んでいければいい。

 岡田 幕末のペリー来航前後は、日本も佐賀もまさに存続の危機だった。諸外国による侵略の恐れに加え、国内では財政悪化や飢饉(ききん)に見舞われていた。その中で、佐賀はピンチをチャンスに変え、乗り越えた。今の日本経済はパッとしない状況が続いており、ピンチをチャンスに変えるような前向きな気持ちが重要だ。直正公はそれを成し遂げた人であり、現代の日本が元気になるヒントがある。

 中尾 「歴史を未来に生かす」と言うが、「終わったことを勉強して何になるか」という意見にはどう反論するか。

 磯田 歴史を見ることでしか未来は分からない。最も有力な未来情報源が歴史だ。私は佐賀の未来は明るいと思っている。なぜかと言えば、どんどん発展する中国大陸に近く、土地がふんだんにあるから。ものすごいポテンシャル(潜在的な能力)がある。佐賀はかつて農業面で「佐賀段階」というモデルを全国に発信した。次はアジアとの付き合い方で、新たな佐賀モデルをつくるんじゃないかと想像している。

 中尾 維新150年という節目が、県民が歴史に学び、21世紀型の調和社会をつくるためにどうするか考える機会になればと願う。

=作家・林真理子さんビデオメッセージ=

「先進性、現代に生かして」

 2018年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の原作小説を連載中の作家、林真理子さんは、シンポジウムに合わせてビデオメッセージを寄せた。

 親交が深い磯田道史さんを「歴史学の第一人者で、これほど歴史を面白く、情熱を込めてお話しになる方はいない」と紹介した。

 佐賀の歩みを振り返るシンポについては「佐賀藩は幕末に、非常に重要な地位を占め、先進性には目を見張るものがある。現代の佐賀に生かすことができれば」と期待を寄せた。

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