佐賀美術協会展の特徴は運営がボランティアであることだ。美術家たちが、ずっと手弁当で設営などに汗を流してきた。それだからこそのエピソードが、1953(昭和28)年4月発行の地元文化誌『新郷土』に載っている◆初期の1910年代のこと。佐賀出身の洋画家、岡田三郎助が自作の小品「少女横顔」を小包で送ってきた。県議会議事堂が会場で設営は夜に。電気がないから裸ロウソクを立てての徹夜作業◆ある日本画家が、そのロウソクの明かりで案内状を書いていて、連日の疲れでそのまま机に伏せて眠ってしまう。そのうちにロウソクが倒れ、岡田の絵が少し焦げてしまった◆みんな「おどま知らん(おれたちは知らない)」と青くなるばかり。仕方なしに、その日本画家が責任をとり岡田に「あの絵を買いたい」と手紙を書く。岡田からは「金をとることはできない。君にやろう」と返事がきた。すると、自分が責任を取りたいという人が多く出てきて困ったという笑い話も加わって残っている◆今年100回を迎えた美協展が佐賀県立美術館と博物館で開幕した。日本画、洋画、彫塑、工芸の各作品が充実していて見応え十分だ。人間国宝のものも並ぶ傍ら、新しい才能に出合える喜びがある。「ふるさとに豊かな美術文化を」-。創始者たちの思いが確かに息づいている。(章)

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