対馬藩宗家累代の位牌を奉安する御霊堂=基山町園部の大興善寺

 対馬藩宗家累代の位牌(いはい)を田代(たじろ)町の昌元寺から大興善寺に移したい、との意向が1873(明治6)年9月8日、当時、東京にお住まいの宗家ご当主から、使者を通じて正式に大興善寺にもたらされた。

 このことは檀家はもとより地元の園部村小松(現・基山町園部)の人にとっても大きな喜びであった。人々は誓恩師の人徳をたたえた。だが、誓恩師は“人間らしく身を処した昌元寺さんに申し訳ない”との思いに心は晴れなかった。

 やがて、大興善寺では、ご位牌を奉安する御霊堂建設の準備に取りかかった。場所を本堂の東、庫裏との間とし、宗家累代の位牌を安置するのにふさわしく、参籠(ろう)もできるようゆとりを持って建立されることが決まった。工事には檀家、それに地元の園部村や田代町の有志も加わり、建設のつち音は園部の谷に響いた。

 建築工事の見物をかねて、大興善寺を訪れる人は「偉いお坊さんに会いたい」「生き仏さまを拝むことができた」などと口々に話した。誓恩師はあまりにも高く評価されていることに心を痛め、人を避けるかのように庫裏にこもり、写経に明け暮れた。

 御霊堂は1885(明治18)年1月9日の棟上げ後、程なく現在のつつじ園入口に完工する。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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