150本の錦の旗がはためき、祝砲が打ち鳴らされる。それも、たったひとりの男のために-。清国(現在の中国)が最大限の敬意を払って送り出した男は、佐賀七賢人のひとり、副島種臣だった。本紙・佐賀新聞の題字を揮ごうした人物でもある◆文藝春秋が最新号で「明治百五十年 美しき日本人50人」を特集している。中村学園大の占部賢志教授が、外務卿時代のタフな交渉ぶりを取り上げている。特命全権大使として北京に乗り込んだ副島は、清国と各国公使とのトラブルに巻き込まれる◆皇帝への謁見(えっけん)に当たり、ひざまずいて地面に頭をつける「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)」を求めた上、大使や公使の階級を無視した席順を清国が準備したのが原因だった。前近代的な旧弊に、副島は「いかに国際間の信義に反するか、舌鋒(ぜっぽう)するどく指摘した」◆交渉は1カ月余りに及び、最後は清国が折れた。副島外交をつぶさに見ていた米国公使は「かれがそのまれなる機略と思慮を具備する高級の才能を発揮したことをここに確信して憚(はば)らない」と母国に報告したという。やり込められた清国まで敬意を表したというのが面白い◆占部教授は「当時の清国に『敵ながら天晴(あっぱ)れ』と見る度量があったとは、なんだか嬉(うれ)しいではないか」と結ぶ。その言葉の裏側に、現代中国への失望を読み取るのは勘ぐりすぎか。(史)

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