鳥栖市養父町から勝尾城(中央)を望む

 九千部連山の一角、鳥栖市牛原地区の山中に国史跡勝尾(かつのお)城がある。正しくは「勝尾城筑紫氏遺跡」で、本城・勝尾城と鏡城、高取城、葛籠(つづら)城、鬼ケ城、若山砦(とりで)の城郭群と城下町・山浦新町を含む広大な九州最大級の戦国城塞(じょうさい)遺跡である。

 この勝尾城の歴代城主が筑紫氏。最盛期には肥前、筑前、豊前を支配した武藤(少弐)氏の一族である。

 筑紫氏は彦山とのつながりが強く、現在も鳥栖市内には彦山信仰の痕跡が色濃く残っている。足跡をたどると1345(貞和元)年から約50年、南北朝時代を通じて福岡県田川市の「鷹取城」に筑紫白心・統種(むねたね)の父子がいた記録がある。

 この頃、同じ田川郡の香春城、岩石城に筑紫氏の重臣・千手(せんず)氏の一族がいる。

 田川市を含む田川郡一帯は彦山の領域であり、彦山領の荘園を支配する地頭が管理する神社「大行事社」が多く存在する。特に岩石城は彦山川と彦山参道を眼下に見据える城であり、ここを守る千手氏の千手は彦山の山体「千手観世音菩薩」から来た名であろう。

 この田川の筑紫氏と勝尾城の筑紫氏のつながりは不明だが、田川筑紫氏が消滅する時期に勝尾城の筑紫氏が登場する。

(鳥栖歴史研究会常任講師)

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