佐代姫が祭られている佐代姫神社=伊万里市山代町

■もうひとつの悲恋伝説

 「出征した夫大伴狭手彦(おおとものさてひこ)を慕い、七日七晩泣きはらし、悲しみのあまり石になった」。日本三大悲恋伝説として万葉集にも歌われた唐津市の佐用姫伝説。伊万里市山代町浦之崎にはその後日談として、別の佐代姫伝説が伝えられています。

 約1500年前、狭手彦を慕うあまり夫を追いかけ、姫は呼子から船に乗り出港しますが、途中、嵐に遭い漂流し、船の上で絶命してしまいます。やがて船は現在の長崎県松浦市今福を経て立岩村(浦之崎)に漂着します。

 豪華な衣装に身を包む姫の亡きがらを村民が見つけ、その神々しい姿に胸を打たれた村長が幸運の現れだとして塚を築き、丁重に葬ったというものです。その時に建立されたと伝えられる佐代姫塚は今も伊万里松浦病院の中庭に現存し、立岩村が佐代姫を祭るために建てた佐代姫神社も同病院の裏手に残っています。

 また、後日帰国した狭手彦が当地を訪れ、姫のために仏像を持ち帰り、狭手彦が神饌(しんせん)を盛って供えたという高麗焼のつぼが神社の宝物として伝わっているという説もあります。

 佐代姫の名前から付近の小字名を佐代田原、佐代搦、姫の黒髪からとって黒藻搦と呼び、傍らを流れる川は佐代川と名付けられており、単なる伝説として片付けられない一面も残されています。(地域リポーター・中尾良樹=伊万里市山代町)

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