黎明期の窯業が営まれた西有田地域(西から望む)

 有田焼創業400年事業も、そろそろ中盤を迎えた。県や町の関連事業も国の内外で展開され、新たな有田の出発点とすべく、さまざまな成果が報告されている。もっとも、窯業自体は合併以前からの旧有田町域の中核産業であり、農業中心の旧西有田町域では、有田焼創業400年に期する思いも、同床異夢の感は免れないようだ。

 ただ、かつては一つの有田郷として、唐船城を中心に周囲に農業を主体とする生活圏が育まれ、そこに入り込む形で、窯場が自然発生的に築かれるようになったのが有田の窯業の萌芽(ほうが)である。その後、磁器の創始とともに、南原地区を中心にしだいに窯業主体の生活圏が形成されたが、この地区も昭和31年に有田町に分村編入された場所であり、磁器の成立も含め、黎明期の窯業の中心が西有田地域だったことは間違いない。

 1637年の窯場の整理・統合を契機として、佐賀藩の産業的磁器生産の拠点は、のちの内山地区に移された。ここは磁器生産への特化を目指して、政治的に町ごと建造されたいわば工業団地である。これ以後、窯業圏域内での自給自足の道は排除される。有田郷内におけるそれぞれの地域の地理的、生産的優位性を最大限に生かし、窯業圏と農業圏の合体した一つの生活圏が確立したのである。

 つまり、有田焼400年の歴史も、現在と同様に窯業と農業が盛んな地域が一体となって、歩んできた歴史にほかならないのだ。

(有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

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