国民的ヒット曲といえば、昭和天皇も歌ったという「こんにちは赤ちゃん」はその代表格だろう。作詞は永六輔さん◆昭和37(1962)年、作曲した中村八大さんに待望の長男が生まれ、永さんも一緒に産院に駆けつけた。看護師さんの抱く赤ちゃんに向かって八大さんが「はじめまして」とガラス越しにあいさつをする。こうして詞ができた◆最初は「私がパパだ」になっていたという。それを関係者が「ママにできませんかね」と言い出した。「母親は妊娠が分かった時にこんにちはという感覚だ」。反対する永さんを八大さんが無視してママの歌にしたそうだ。結果的にそれが効を奏したことになる。永さんの自伝『さよなら芸能界』にある◆「黒い花びら」「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」…。昭和歌謡史に残る歌の詞を書いた永さんが逝ってしまった。放送作家、タレント、作家と彩り多い人生を一言では語れない。浅草生まれの都会っ子で、芸能に親しみ、デビューは大学在学中だった◆真骨頂は社会風刺。メートル法に取って代わられた尺貫法の復権運動をしたり、芸人や職人の世界を書くような市井の人へのまなざしも持ち合わせた。焼き物好きで、たびたび有田にも足を運んだ。そういえば旅が人生の友だった。今も、長い旅の途中で何かを考えているだろうか。(章)

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