人権集会で、差別の撤廃に向けた佐賀新聞社の取り組みを報告した富吉賢太郎専務取締役=県総合体育館

■同和問題 正しい理解訴える

 佐賀新聞社長の差別発言から20年。さらなる反省を込めて、今までの社の取り組みを報告したい。

 問題になった社長の発言は1997年3月27日、「九州国際空港の誘致と佐賀空港の活用策」をテーマに、佐賀市内で開かれた公開シンポジウムの中で出た。社長が、佐賀と福岡の関係を江戸時代の身分制度を例えにして説明し、パネリストの意見を求めたことに対し、シンポジウム終了後、「新聞社のトップとして人権意識に欠けるのではないか」と指摘を受けた。

 つまり、モノや人を比較する際に「えた・ひにん」という蔑称を尺度として用いたことは、差別的価値観をいたずらに押し付け、差別的な考えを助長してしまう意味において「差別発言」だった。

 そして、発言の問題性に気付きながらすぐに発言の訂正をせず、新聞社として事実の公表と謝罪まで1カ月をかけてしまったことは、社長だけでなく社全体が「どんな差別も絶対に許さない」という意識が欠けていたことを思い知らされた。

 その反省の上に立ち、この20年、社を挙げて同和問題をはじめとする人権問題について学習し、紙面を通じた啓発活動に力を入れてきた。

 毎年8月の「佐賀県同和問題啓発強調月間」と12月の「人権週間」には、あらゆる差別・偏見を許さないという思いを込めた啓発企画を書き続けている。取り上げたテーマは同和問題だけでなく、障害者差別、性的マイノリティーの問題、ハンセン病差別など多岐にわたっている。戦後70年となった昨年は、戦争によって精神を病み、吉野ケ里町にある肥前精神医療センターに入所した元兵士たちの戦後を振り返りながら、精神医療の今日的課題について問題提起した。

 私がハンセン病問題を取材した時、佐賀県出身の元患者の人から「JRの落とし物の中に時々、遺骨があるでしょう。あれはハンセン病患者の遺骨だということをご存じでしたか。あれは忘れられた遺骨ではありません。捨てられた遺骨です。私たちは死んでからでも、ふるさとには帰れないのですよ」と言われ、本当に衝撃を受けた。そして、そのことを全く知らない自分を恥じた。

 人間は、知らないことで、人を追い詰めていく。人を傷つける。知らないことは罪深いことだ。何事もきちんと知ること、学ぶこと、これが一番大切だと思う。

 佐賀新聞社では、中尾清一郎社長を委員長とする人権同和教育推進委員会を設け、毎年、社員研修を実施している。そこで講師をしてもらった福岡人権研修所の園田久子さんが、同和教育の在り方についてこう語った。

 「『差別はいけない!』と鋳型(いがた)にはめたような同和教育だけでは、差別はなくならない。私たち一人一人の中には社会意識としての差別観念が染み込んでおり、それを揺さぶって揺さぶって、取り出して、直していくような教育が大切なんです」と。

 このことを忘れず、これからも差別のない社会の実現の一助になるよう、従来にもまして同和問題、人権問題に分け入り、正しい理解を訴えていきたい。

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