「伝刺寄」と伝えられる場所。右奥が「槍突き岩」

■供養碑 敵味方関係なく

 四阿屋(あずまや)川(河内(こうち)川)は九千部山西麓から城山を巻き込むように流れ、牛原町と山浦町の間を下り、東橋付近で安良川に流れ込みます。その四阿屋川の両岸には城山(勝尾城)にちなむ旧跡が各所にみられます。

 東橋からすぐ右手の丘の上が「馬場」と呼ばれている所で、ここには「敵味方供養碑」があります。天正14(1586)年、島津軍が勝尾城を攻めた際の両軍の戦死者を供養しようと、後世に建てられました。

 四阿屋神社を過ぎ、さらに登っていくと「伝刺寄(きりよせ)」があります。筑紫春門と島津勢の川上左京が一騎打ちし、相果てたと伝えられる所で、「槍突き岩」や2人の「慰霊碑」も残されています。その先には「伝大手門」「全慶寺跡」「伝カワラモン」や「伝鐘突(かねつき)跡」「勝尾神社跡」もあり、筑紫氏の館跡である「筑紫神社」へと至ります。

(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬禎博)

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