オレンジ色の瓦に周辺の緑が映える

重厚な蔵

■重厚な白壁漆喰の蔵

 晴気は小城市の西方で、天山山麓の晴気谷および天山の東谷に源を発する晴気川上流の集落で、この晴気荘は源頼朝から尾張少将藤原隆頼の一族が元暦2(1185)年に賜ったことが宗像神社文書に記録されています。その後、晴気荘は宗像神社大宮司の荘園として成立しましたが、のちに千葉氏の支配下に入りました。

 今日でも西晴気の西方、通称・城山に千葉氏の晴気城跡の遺構が残存しています。千葉氏滅亡後は晴気は佐賀本藩の直轄となり、同地区に祭られている由緒ある天山神社の上宮および下宮等の社殿の修復再建の費用は佐賀本藩から支出されていました。鳥居は元和3(1617)年、佐賀初代藩主鍋島勝茂の奉献で堂々たる鳥居です。

 中尾家を訪れた時は新緑の5月初旬で周辺には四季折々の草花が咲き誇り、時にはウグイスの鳴き声を聞きながら散策しました。中尾家は参道を上った小高い所に建てられています。最初の母屋は明治初期に建てられたと伝えられていますが、屋根の傷みがひどく、近年全面的に建て替えられました。

 母屋の年代の手がかりを知る蔵が残存していました。その蔵は造りが重厚で白壁漆喰(しっくい)が施され、母屋の赤瓦の屋根と白壁が見事に映え、まさに桃源郷の世界でした。

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