江戸時代に長崎に滞在し、近代医学を伝えたドイツ人医師のシーボルト。1826(文政9)年、オランダ商館長の江戸参府に同行して書いた旅日記に、鳥栖市田代領内を歩いた記述が残る◆復路の宿泊地、田代宿で無数の蚊に襲われ、ほとんど眠れなかったというのは気の毒だが、この地域の豊穣(ほうじょう)な平野をほめている。「旅で見たうち最も稲作の盛んな所」という意味のことを記しており、池や水路の整い具合にも感心している。当時から一帯は有数の穀倉地帯だったのである◆この田代領は長崎県の対馬藩の領地で、いわゆる飛び地。今の鳥栖市東部と基山町にあたる。平地が少ない対馬にとって、田代領はまさに米蔵といえた。藩の代官所跡が今の田代小になっている。このつながりが現代の縁となり、鳥栖の米を使い、対馬で日本酒を造る夢のあるプロジェクトが動き出す◆酒造りを手掛ける対馬唯一の酒蔵が河内酒造。杜氏(とうじ)も兼ねる社長の伊藤浩一郎さん(58)は「酒は淡麗(たんれい)辛口の若い感じの味わいを目指す」と意気込んでおり、出来上がりが楽しみだ◆田代領で善政を敷いた副代官・賀島兵介(かしまひょうすけ)公が、今も鳥栖の人に慕われている。遺徳をしのび毎年4月に開かれる「賀島祭」に新酒を間に合わせるのが一つの目標だ。二つの地域が、歴史を通して互いを照らし合ういい機会となろう。(章)

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