西谷峠を行く2重連の汽車=浦郷正躬氏撮影、昭和30年代、武雄市歴史資料館提供

■町を挙げて懸命な救助

 九州で鉄道事業が始まったのは明治23(1890)年。翌年には、早くも門司-熊本、鳥栖-佐賀間が開通した。武雄まで開業したのは明治28年5月5日のこと。桜山に会場が設けられ鉄道歓迎式典が盛大に行われたことは、佐賀自由新聞(佐賀新聞の前身)の記事にも見える。鉄道はさらに西へ延び、明治31年には門司-長崎間が全通した。日本の近代化の動きに合わせ、輸送の大動脈としての鉄道敷設は急ピッチで進められた。

 武雄の鉄道開業から10年がたった明治38年8月8日、上りの17両編成の貨物混合列車が折から接近しつつあった台風による暴風雨の中、午後5時22分、武雄駅から西1・5キロの西谷峠(にしだんとうげ)にさしかかった。と、その時、瞬間風速28メートルの突風が襲い、次の瞬間には中ほど9両の客車、郵便車が20メートル下の谷底に転落したのである。

 幸い転落を免れ線路上に残された先頭の機関車が武雄駅に到着。思いもかけず機関車だけが到着したことで武雄町は大混乱となり、鐘を打ち鳴らし事故を報じた。町内から医師や看護士、消防夫らが集まり、この機関車を折り返しの救助列車として現場に急行、乗客の救出と負傷者の応急の手当て、さらに負傷者を町内の旅館に収容して、懸命の治療が行われた。武雄初の鉄道事故は死者1人、重傷者8人、軽傷30人を数える大惨事だった。今から111年前の出来事である。(武雄市図書館・歴史資料館 川副 義敦)

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