弥川佐智子さんの嫁入り道具の中で、母親から特に「大事にしなさい」と持たせられた小皿=藤津郡太良町の弥川さん宅

嫁入り道具の大皿。大人数をもてなすとき、出番が回ってくる

器や有田陶器市の思い出を振り返った弥川佐智子さん(左)と次女の柴田久美さん=藤津郡太良町の弥川さん宅

■嫁入り道具の皿 もてなし料理に彩り

 もう50年も前のことになるわね。1966(昭和41)年に結婚したとき、嫁入り道具として、母の三枝(故人)がたくさんの皿を持たせてくれたんですよ。小鉢から直径40センチの大皿までいろいろあって、「こんな大皿を使うかしら?」って戸惑うくらいだった。

 私は生まれは大阪だけど、戦争で家が焼けてね。1945(昭和20)年、2歳のころ、伊万里の親戚を頼って家族で疎開しました。母と、もともと薬品会社の営業で海外を船で回っていた父は、慣れない農作業で生計を立てて、私を含め5人を育てたんです。

 両親は苦労したと思うけれど、よく思い出す光景は、母の得意な料理が器にきれいに盛られた食卓。煮物とか質素な料理も、赤絵の器にのると豪華でおいしそうだった。母は、ひと手間を惜しまなかった。

 そうするのが当たり前だったから、私もパン1枚でもちゃんと皿にのせるし、コーヒーだって有田焼のポットに入れて注ぐの。そうすると落ち着いて、安らぐ。器って、食卓の見栄えをよくしてくれるだけじゃなくて、心を豊かにしてくれるものなんでしょうね。

 嫁入り道具の皿は、どれも赤や金色が効いていて、私の好み。目にするたびに「母子で趣味は一緒ね」とほほ笑んでしまう。

 食品加工業を営む夫はとにかく、人を家に招くことが大好き。従業員の人たちが30人くらい訪ねてくるお正月は、どの皿もフル稼働するの。例の大皿も出番があって、ローストビーフやステーキをのせている。

 有田陶器市に足を運ぶのは恒例行事。10客単位で買うから、帰るころには山ほどになる。食器棚だけでは足りずに、別棟の倉庫にも収納しています。

 夏は涼しげなガラスの器、冬は厚みのある器を棚の手前に入れ替える「器の衣替え」も欠かさない。「この器すてきね」と褒められるのがうれしくて、だいぶ人にも譲った。気に入ってくれた人に使ってもらった方がいいと思うしね。

 今では、台所に立つ機会はすっかり減って、お嫁さんに代替わり。和食が多かったわが家で、おいしいオムライスとか作ってくれるの。わが家の皿に洋食も合うって感じています。

 お正月には、私が作っていた料理が同じように大皿に盛り付けられている。お嫁さんにも娘にも料理を教えたことはないけれど、ちゃんと見ていてくれていたんだなって思うと、うれしい。わが家の味も器と一緒に残るといいな。

器や有田陶器市の思い出を振り返った弥川佐智子さん(左)と次女の柴田久美さん=藤津郡太良町の弥川さん宅

=余録= 大皿のごちそう

 初夏なのに、取材で通された座敷は、正月の雰囲気を醸し出していた。再現したのは弥川佐智子さんの次女、柴田久美さん(46)。おせちを入れる三段重ねの円形の器などがテーブルいっぱいに並べられていた。

 弥川家の子どもたちは幼いころ、大勢の来客があるたびに、友達から「またおくんちをやっているの?」と尋ねられたという。

 豪華な料理に大勢の客。懐事情が気になってしまうが、佐智子さんの夫、順治さん(76)のモットーは「欲張らず、威張らず。みんなにお裾分け」だという。

 弥川家のように正月三が日に、30人近くが訪れる家庭は今、どれくらいあるのだろう。「食べにいこう」と思わせる大皿盛りのごちそうは、日本の原風景を守っているのかもしれない。

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