古賀の堤=鳥栖市

 鳥栖市古賀町、筑紫野バイパス沿いの「ホームセンターユートク」の北側を西に入ると、右手に「古賀老松(おいまつ)神社」があり、その裏に「虹ケ丘町」がある。この虹ケ丘がかつての「古賀の堤(つつみ)」であり、片隅に小さな池が残っている。

 平安時代、鳥栖市神辺(こうのえ)町に京都・北野天満宮の荘園「神辺庄」が生まれ、北野天満宮の別称「老松神社」が祭られる。

 鎌倉時代、神辺庄の地頭(じとう)神辺氏は周辺に農業用ため池「堤」を築き、土地を開拓していく。神辺の堤・池田上の堤・池田下の堤・萱方の堤・古賀の堤がそれで、池田・萱方・古賀などの中世集落が生まれる。

 やがて南北朝の戦乱で全国の荘園が分解し荘園から「村」が独立する。1352(正平7)年の『安楽寺寺領目録』に「神辺庄内萱方村」が記され、以後「藤木村」「鳥栖村」などが成立する。鳥栖歴史研究会は4日午後、若葉まちづくりセンターに集合し、古賀・萱方地区を探訪する。

絵・水田哲夫(鳥栖市本町)

文・高尾平良(鳥栖市本町)

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