にあんちゃんの記念碑の前で思い出を語る山口駿一さん=唐津市肥前町

「にあんちゃん」VHS=販売元・日活、DVD=販売元・ジェネオン エンタテインメント

講演会で撮影時の思い出などを語る今村昌平監督=1988年11月、唐津市

にあんちゃんが住んでいた場所

■輝き続ける少女の日記

 梅雨の晴れ間の日差しがまぶしい。山から見下ろす仮屋湾は波もなく穏やかだ。1959年公開の映画「にあんちゃん」の舞台となった唐津市肥前町大鶴地区。かつて約4千人が暮らした炭鉱町の面影は、石炭積み出しの桟橋跡などが残るだけになっていた。

 映画は、当時小学3年生だった三村末子さん=旧姓・安本、茨城県在住=がつづった日記が原作だ。両親を亡くした4人きょうだいが貧しさの中でも希望を失わず、たくましく生き抜く物語は、時代の共感を得てベストセラーとなり、すぐに映画化が決まった。若手の社会派、今村昌平監督に白羽の矢が立った。

 石炭から石油へのエネルギー転換が進み、全国で炭鉱閉山が相次ぐ中、安本家は貧困のどん底であえぐ。長兄(長門裕之)は炭鉱の臨時職を解雇され、姉(松尾嘉代)とともに職を求めて家を出る。一つしかない弁当を譲り合い、近所の家に預けられながらも勉強を続ける次兄・高一(沖村武)と末子(前田暁子)のけなげな姿が胸を打つ。

 「貧困を描きながらエネルギッシュ。前向きに生きようという未来への希望がある」。三村さんの同級生で日記にも登場する山口駿一さん(72)=唐津市肥前町=は作品の魅力をこう語る。大鶴炭鉱は既に閉山しており、ロケは長崎県松浦市福島町の鯛の鼻炭鉱を中心に行われた。

 「楢山節考」「うなぎ」でカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)を2度受けた今村監督も、まだ30代前半だった。作品について「とんちんかんなところや、恥ずかしいようなところもある。ただやみくもにすごい馬力で撮り上げた」と後に述懐しているが、貧困や差別など社会が抱える課題に深く切り込み、底辺で生きる人々の暮らしや労働者の怒りを丹念に、生き生きと描き切った。いま、非正規雇用の拡大や子どもの貧困が社会問題になっているが、約60年前のモノクロ映像は、圧倒的な迫力で見る者に迫ってくる。

 映画は、同じ時代を生きてきた大鶴地区や近隣の人たちにとって大きな誇りとなった。山口さんらは「にあんちゃんの里」づくりを掲げ、2001年に同級生と協力して記念碑を建立。03年には日記の復刊も実現させている。

 時は移ろい、緑に覆われたボタ山の周辺にはいま、太陽光発電のパネルが設置されている。記憶の風化も懸念されるが、かつて大鶴地区で暮らした炭鉱マンや家族ら記念碑を訪れる人は後を絶たない。

 「人に対する思いやり、きょうだいや親を慕う気持ち。普遍的なテーマが息づいているからだろうね」と山口さん。十歳の少女がつづった日記は色あせることなく輝き続けている。

■メモリー 急な打診にも講演を快諾

 撮影中、今村昌平監督ら約15人は肥前町高串で呉服商を営んでいた松永愨(すなお)さん(85)宅に寝泊まりし、船でロケ地の中心となった長崎県福島町に通った。

 「下見に訪れた助監督さん(浦山桐郎氏)を案内したのがきっかけだった」と松永さん。滞在は1カ月に及んだ。撮影の雰囲気を共有するためか、その日出番のない役者も衣装に着替え、一緒にロケ地に向かっていたという。

 滞在を機に今村監督との親交は続いた。1988年11月、地元のイベントの盛り上げのため監督を講師として呼びたいと声が上がり、松永さんは「黒い雨」を岡山県で撮影していた今村監督に出演を打診。本番は数日後に迫っていたが、「松永さんの頼みなら」と快諾してくれたという。

 「優しく義理堅い人でした」。日本を代表する映画監督として活躍し、2006年に79歳で逝った今村監督が今も心の中で生き続けている。

■ストーリー

 昭和20年代後半、炭鉱員の父親が病気で亡くなった。母親も既に他界。安本家はきょうだい4人での生活が始まるが、追い打ちをかけるように長兄の喜一(長門裕之)が炭鉱の臨時職を解雇されてしまう。喜一と姉の良子(松尾嘉代)は職を求めて故郷を後にし、末子(前田暁子)と高一(沖村武)は知り合いの家に預けられる。

 だが石炭産業は斜陽で、どの家も貧しい。2人は別の家で暮らすことになるが、耐えきれずに逃げ出してしまう。高一はいりこの製造で家計を助け、東京で働こうと上京も試みる。高一は貧困から抜け出し、広い世界に飛び出すことを末子に誓う。出演はほかに吉行和子、二谷英明ら。モノクロ101分。

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