「肥前杜氏」として半世紀にわたり酒造りに携わる井上満さん

■苦難の末、光ようやく

 「佐賀のチベット」と言われた上場台地。この東松浦半島の西端に、西行が訪れて「松浦潟 これより西に山もなし 月の入野や限りなるらむ」と詠んだ肥前町入野村があります。

 棚田でのコメ作りは重労働で、畑ではサツマイモや麦などわずかな作物しか育たなかった頃、ここに「入野杜氏」「肥前杜氏」と呼ばれた酒造りの技術を持つ人たちがいました。

 冬場の農閑期、酒造りに出稼ぎする習わしがあり、昭和26(1951)年、貧農の長男に生まれた私も中学校を卒業すると、家督を継ぐため酒蔵で働くようになりました。当時は高度成長期。日本酒も灘や伏見の大手を中心に生産量を増やしていました。

 あれから51年が過ぎました。国民のアルコール消費量に占める日本酒の割合は6%台に下がり、とても「国酒」とは呼べません。また一方では酒蔵で働く蔵人の減少も深刻です。日本酒業界は風前のともしび、崖っぷちに立たされ、全国の酒蔵は半減しました。

 しかし、そこには生き残りを賭けた酒蔵の姿があり、ようやく光が見えるようになったのです。日本酒は世界に冠たる酒として評価されるようになりました。

 この間、宮城、静岡、兵庫、広島、福岡と、全国の名酒蔵で修業しました。現在は松尾酒造場(有田町)に勤務し、日本酒の新たな可能性を追求しています。

 今は冬場に仕込んだ酒の瓶詰めに追われる毎日です。もう早く家に帰りたい。帰ったら百姓をして、秋にはまた酒蔵へ。私の酒造り人生の四季をつづります。

 いのうえ・みつる 1951(昭和26)年、唐津市肥前町入野生まれ。「肥前杜氏」として半世紀にわたり酒造りに携わる。現在、有田町・松尾酒造場(宮の松)に勤務。九州酒造杜氏組合長。

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