戦国時代、勝尾城の支城だったと考えられている山浦城

■戦国時代勝尾城の支城

 中世の頃、鳥栖周辺にも多数の武将たちがいて、各地に拠点を構えて領地を治めていました。山浦八幡神社の北側に、現在「寺山」と呼ばれている九千部山麓の雲野尾(くものお)峠から続く小さな山があります。ここが十数年前の調査で「山浦城」であることが確認されました。

 文献によれば、この周辺には原口氏、山浦氏がいたことが分かっています。特に山浦氏は「大宰府守護所番役」を務めた鎌倉時代の御家人として知られています。

 山浦城は峠の南東山麓から張り出し、頂上がひょうたん形をしていましたが、一部は高速道路で削られています。残された平たん地は南北60メートル、東西50メートルの広さで、ここに居館があったと思われます。北側斜面地には竪堀(たてぼり)の痕跡が見られます。戦国時代は勝尾(かつのお)城の支城だったとも考えられています。(鳥栖郷土研究会会長 藤瀬禎博)

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